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安保法案反対運動とは何であったか――二つの「護憲」思想をめぐる問題 [日本・現代社会]

9月19日未明、日本国の暴力装置が国外に殺し合いに行くことを「合法」化する安保法案が成立した。今夏以来日本の各地で繰り広げられた法案に反対する運動は、国会前を中心に、1960年の安保闘争以来の高揚を示したとさえ言われる。この安保法案反対運動とは何であったか。この運動の本質はどのように捉えることができるだろうか。

この運動をとりあえず「護憲」運動と呼ぶことは、多くの人の同意するところだろう。ただしこの「護憲」という言葉は、日本の近現代史および政治思想の上で、大きく二つの異なる内容を含んでいることに注意せねばならない。

第一の内容は、日本国憲法のうち特に9条を守れ、という思想および運動である。1950年代以来、日本の支配層の改憲策動は憲法9条の改定を最優先とするものであったから、これに対抗する護憲運動が主として9条を守ることを掲げたのは当然だろう。この意味での護憲運動はもっぱら平和運動として展開され、嫌戦気分の漂う戦後日本社会の多数派の合意が底辺でそれを支えつつも、アジア・沖縄・戦後責任・フェミニズムなどさまざまな問題提起を受け止めながら、思想的・運動的に少しずつではあれ深化していった。

「護憲」の第二の内容は、憲法に基づく政治のあり方(立憲政治)を守れ、というものである。旧憲法(大日本帝国憲法)下の日本近代史において「護憲運動」と言うと、主にこの意味での「憲政擁護運動」を指す。ここで憲政(立憲政治)というのは、国家権力の行使を憲法によって制限し、国民の権利を保護するという、近代国家の根本原則(立憲主義)に則った政治のことを指している。日露戦争後から1920年代までの「大正デモクラシー」期、この意味での護憲運動が「民本主義」者を中心に活発に展開されたことは、よく知られている。

このたびの安保法案反対運動には、上に挙げた「護憲」の二つの意味が混在しているように思われる。安保法案が憲法9条違反であることは、安保法案に反対するほぼ全ての人が合意するところだろう。ただしこの「護憲」運動には、9条の精髄(とくに第2項の戦力不保持と交戦権否認)を維持しさらに発展させてゆくことを目指す平和運動としての側面と、安保法案の違憲性に抗議し立憲政治を守ることを目指すデモクラシー運動としての側面との、両者が含まれていたと思われる。そして、この二つの内容を含む「護憲」をどう捉えるかは、運動の参加者個々人において、相当ニュアンスが違っていたのである。

特に注意すべきは、上の第二の意味でもっぱら「護憲」を捉え、安保法案への反対を立憲政治の擁護(すなわち立憲主義)の運動としてこれに参加した人たちの中に、第一の意味での「護憲」(9条の維持と発展という平和思想・運動)を軽視さらには批判する人も、少なくないことだ。そこには例えば、小林節氏のような9条改憲論者が含まれている。安保法案反対において、第二の「護憲」のみを強調するならば、憲法改正の規定に従って「国民」の意志として9条を改定し第2項を削除すれば、立憲主義の原則に従いつつ集団的自衛権を行使できる、という論理すら可能になってくる。

国会前での安保法案反対運動でマスメディアから注目されたSEALDsの中心メンバーやその周辺の支援者にも、9条は改定したほうがよい、という主張が現れているらしい。とりわけ野間易通氏に至っては、「憲法9条2項は改正または削除すべし」「国連PKFでの自衛隊の武力行使も反対ではない」などと断言しているのである。

日本近代史を振り返っても、第二の「護憲」の主張は必ずしも平和思想と結びつかなかった。「大正デモクラシー」の憲政擁護運動(護憲運動)では、閥族(藩閥・官僚・軍人)の強権政治は憲法の精神を無視する「非立憲」的専制だとし、それに対して民意に基づく政治(具体的には世論の代表者たる衆議院が行政権力をコントロールする議院内閣制の政党政治)の実現が目指され、そこに立憲政治の本質(「憲政の有終の美」)があるとされた。ただし、彼ら「立憲的」政治家・言論人の立場は、「内に立憲主義、外に帝国主義」というべきものがほとんどであった。「民本主義」を代表する知識人の吉野作造も、1915年に日本政府が中国政府に突き付けた露骨な侵略的要求である「対華21カ条要求」を熱烈に支持したのである(「非立憲的」軍閥政治家の山縣有朋すら21カ条要求には慎重であったにもかかわらず)。なお吉野はやがてこうした帝国主義的立場を修正していくが、そうした反省すら当時の「立憲的」言論人として例外的であった。

大正デモクラシーの左派として、吉野の弟子にあたる学生たちを中心とする「新人会」グループがあり、無産政党運動にも多くの人材を輩出したが、1930年代における彼らの右旋回は鮮明だった。赤松克麿(吉野の娘婿)は満洲事変後に軍部を支持し、ファシズム類似の「日本国家社会党」を結成して「一君万民の国民精神」に基づく社会運動を称揚したし、麻生久・三輪寿壮ら新人会出身の無産政党指導者たちも、日中戦争下で近衛文麿らの「新体制」運動に積極的に加担し、大政翼賛会や産業報国会の結成に関与していったのである。

戦前の「護憲」運動の系譜を引く人びとのこうした無残な失敗を踏まえ、戦後の日本では「護憲」思想に新たな意味が吹き込まれつつ、平和運動が取り組まれた。それは紆余曲折と試行錯誤を経ながら、少なくとも90年代までは曲がりなりにも思想的な深化を遂げていったといえよう。だがとくに今世紀に入ると、平和運動の周辺では、思想を後退させることで運動の底辺を広げようという「現実主義」(?)的な提言(自衛隊の9条合憲論や専守防衛論)が目立ってきた。

とりわけ今回の安保法制反対運動では、立憲主義という後退線で保守勢力と政略的に連携することが重視され、そうした雰囲気の中で、SEALDs人気が各メディアを通じて突出することになった。SEALDsの主張は明らかに、従来の平和運動の思想的成果(とりわけ歴史認識問題)を踏まえようとしない保守的なものであるにもかかわらず、不思議なことに、社会運動・平和運動の中にもこれを無条件に支持する人が多く、その批判者に対しては〈運動の邪魔をするな〉とばかりに罵倒が浴びせられもした。さらに、SEALDs声明文の歴史認識に疑問を呈した外国人研究者に対して、SEALDs周辺から罵倒や誹謗・中傷が集中するという、深刻な事態すら起きている。安倍自公政権の非立憲的な独善ぶりもさることながら、こうした社会運動の側の思想的な頽廃にこそ、私は日本社会の真の危機をみるものである。

安倍政権一味によるクーデター的な立憲政治の破壊行為に対して、私たち民衆はこれに全力で立ち向かい阻止しなければならない。その限りでは、あえて「立憲主義」の線に後退して保守派を含む幅広い人びとと連携することが必要な局面もあるだろう。その一方で、立憲主義だけでは決して戦争を阻止できないという歴史の厳然たる事実も、常に想起しておかねばならない。

戦後日本における平和運動と思想の起伏に富んだ錯誤と苦悩の歩みの蓄積は、私たち民衆にとってかけがえのない財産である。アジア・沖縄・戦後責任・歴史認識・フェミニズムなどさまざまな観点からの批判的な問題提起を受け止めつつ、紆余曲折を経た末に一応たどりついたその運動的・思想的到達点(全くもって不十分ながら)を、私たちはもう一度確認し、そこからさらに一歩前へと歩みを進めてゆきたい。上に述べた二つの「護憲」思想の差異と役割をめぐる緊張感を失うことなく、私たちは考え、悩み、行動し、アジアの人びとと共に平和のうちに生存できるような未来を必死に切り開いてゆかねばならない。

「満洲国」の爪痕(8)南嶺大営――満洲事変と長春 [満洲国]

日本の関東軍が満洲(中国東北部)に全面的な軍事侵略を開始した柳条湖事件からちょうど84年目の9月18日、満洲事変における最大の激戦地の一つ、長春の南嶺大営(南大営)旧址を訪れた。ここには満洲事変まで、国民革命軍東北辺防軍(張学良麾下)の砲兵第10団(1370人)と歩兵第25旅5団(2350人)が駐屯し、満洲における中国軍(国民党)の重要拠点だった。
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(南嶺大営の東北軍砲兵第10団部正門)

満洲事変の勃発前から、長春には「満鉄附属地」と呼ばれる、日本帝国の事実上の植民地域があった。その由来は1905年、日露戦争に勝利した日本が、ロシアから関東州(旅順・大連など遼東半島南端部)の租借権や、大連―長春間の鉄道とそれに付属する利権を譲渡されたことにある。翌年、植民経営の機関として南満州鉄道株式会社が設立され、鉄道の沿線用地および停車場のある市街地は「満鉄附属地」に編入され、日本帝国の重要な権益としてその行政権下に置かれた。満鉄附属地内では、日本領事が司法・外交権、関東都督府(関東州における日本の植民統治機関で、民政部と陸軍部から成る)が軍事・警察権、満鉄が行政権を握り、中国側の権力は一切及ばなかった。1919年、関東都督府の改組で陸軍部が独立した。これが関東軍だ。

長春では、満鉄の長春駅を中心に広大な満鉄附属地が設定され、これを守備するために関東軍および独立守備隊が駐屯していた。
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(ピンク色の部分が長春の満鉄附属地。『長春偽満洲国那些事』吉林文史出版社、2011年、10頁より)

満洲事変勃発の直前には、関東軍第二師団第三旅団第四連隊の二個大隊と、独立守備隊の一個中隊合わせて1000人ほどの日本軍が長春にあり、これを警戒する南嶺大営および寛城子(二道溝)兵営の兵力合わせて6000余人の中国東北軍が、対峙していた。

1931年9月18日午後10時20分頃、奉天(現・瀋陽)郊外の柳条湖で満鉄線の線路が突然爆破された。中国東北部全土に軍事侵略を開始するための関東軍の謀略だった。この爆破を中国軍の仕業と偽った関東軍は、中国軍の最大拠点である奉天の北大営を奇襲してこれを制圧、まもなく奉天全市を占領下に置いた。

9月19日未明、長春の日本軍は南嶺大営と寛城子兵営の中国軍を奇襲、これに対して中国軍も激しく抵抗したが、激戦の末、日本軍はいずれも同日夕刻までに制圧した。半日の戦闘で、中国側の戦死者は約300人、日本側の戦死者は66人だった。
a6.JPG(南嶺大営への日本軍の突入跡)

関東軍の独断専行による軍事行動に、陸軍中央も同調・協力し、朝鮮軍(植民地朝鮮に駐屯する日本陸軍)は関東軍の支援のために独断で越境して満洲に入った。関東軍は日本政府の「不拡大」方針を無視して占領地を拡大、11月には黒龍江省のチチハル、翌年2月にはハルビンを陥落させた。こうした既成事実を、やがて政府も追認するようになった。

こうして満洲全土の主要都市をほぼ制圧した関東軍は32年3月、傀儡国家「満洲国」の建国を宣言させ、長春はその国都として「新京」と改称された。だが、住民の意思と無関係に日本軍が勝手に「建国」させたこの「国家」は、支配の正当性がきわめていかがわしかった。中国東北軍の残存部隊は、農民・馬賊などを糾合して「救国軍」を結成、各地で激しい抵抗を継続させた。朝鮮人を多数含む満洲の共産主義者たちも、抗日武装闘争を開始して遊撃戦を繰り広げた。以後十数年にわたる満洲抗日戦争の幕開けである。

こうした泥沼の状況で、日本側は抗日闘争参加者を「匪賊」と呼び、武力による徹底的な殺戮の対象とする一方(七三一部隊による人体実験にも供された)、満洲国の支配の正当性を捏造するためのプロパガンダ戦にも力を入れた。その一環として、満洲事変における最大の激戦地だった長春の南嶺と寛城子は、満洲国建国の聖地として宣伝されることになる。早くも31年の年末には、南嶺で戦死した日本兵の「英霊」を称えるプロパガンダ映画『噫!南嶺三十八勇士』が製作されている。
z9.jpg(『噫!南嶺三十八勇士』の宣伝絵葉書)

軍歌「噫!南嶺」でも「戦い済んで声限り 満州野に叫ぶ勝鬨に 見よ南嶺の空高く 夕日に映る日の御旗」と高唱された南嶺の地は、血塗られた色の夕日のイメージとともに当時の人びとの頭に刻み込まれた。
z4.jpg(絵葉書「南嶺で奮戦する倉本少佐」)

満洲建国を聖化する巡礼地として、南嶺と寛城子の戦跡には威圧的な記念碑が建てられた。満洲を永遠に中国から切り離して日本に従属させることを企図したモニュメントといえよう。それは、満洲事変および「匪賊討伐」戦(すなわち満洲抗日戦争)における日本・満洲国側の「英霊」を祀った「建国忠霊廟」(拙ブログ「「満洲国」の爪痕(1)――「靖国」としての建国忠霊廟」を参照)とともに、この人造国家の「国民」意識を発揚することを目的としたイデオロギー装置にほかならない。
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(絵葉書「国都新京ノ偉観」左が寛城子戦跡記念碑、右が南嶺戦跡記念碑)

1945年8月の日本敗戦に伴う満洲国崩壊後、これらのモニュメントは中国の人びとによって徹底的に破壊された。満洲事変という歴史上まれにみる愚挙をきっかけに、以後十数年にわたって中国東北の大地にいったいどれだけ膨大な血が流されたのかを思うと、気が遠くなる。

南嶺戦跡の地は現在、富裕層向けの高層マンションが林立する地区となっている。満洲事変80周年の2011年9月18日、高層マンション群の谷間に、「長春南大営旧址陳列館」がオープンし、この地で関東軍と戦い敗れた中国東北軍砲兵第10団部の正門が復元された。陳列館は「九・一九長春抗戦史跡」として、日本の満洲侵略および抗日戦に関する説明パネルと遺物が多数展示されている。
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(復元された中国東北軍砲兵第10団部の正門)

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この南嶺の地で戦闘が行われてからちょうど84年目の今日9月19日未明、日本では安保法案が一部支配層によって強行的に成立させられた。それは、日本国の暴力装置が再び外国に殺し合いに行くことを「合法」化するものである。東アジアに悲劇の歴史が繰り返されることを、私たち民衆は何としても食い止めねばならない。

韓国人研究者・鄭玹汀さんに対する人権侵害問題――バッシングに加担する社会運動家・研究者・ジャーナリストたち [日本・現代社会]

6月18日、韓国人研究者の鄭玹汀さん(在日コリアンではありません)はご自身のfacebook上に、SEALDs(シールズ―自由と民主主義のための学生緊急行動)の声明文について問題を提起する批評文を載せました。その内容は、日本の戦争責任問題や歴史認識問題についてSEALDsの声明文の姿勢を問い、そこに垣間見られる若い世代のナショナリズムについて警鐘を鳴らしたものです。それは日本の社会運動に対し、外国人の視点からその問題点を客観的に指摘した、きわめて妥当な内容の批評でした。しかし、鄭さんがこの批評文をfacebook上に載せた直後から、多数のSEALDs支持者による一方的で猛烈なバッシングがツイッター等を通じて始まりました。それは鄭さんの文章に対する単なる批判ではなく、誹謗中傷・罵倒の限りをきわめ、彼女の全人格を根本的に否定するものでした。果ては名誉毀損や脅迫とおぼしき行為にまで至り、日本に住む外国人としての静謐な生活が実際に脅かされています。深刻な人権侵害といえるでしょう。

とりわけ問題なのは、「反レイシズム・アクション」を標榜するC.R.A.C.(旧レイシストをしばき隊)の事実上の主宰者である社会運動家の野間易通氏が、こうした外国人に対する人権侵害を助長する言動を執拗に続けていることです。野間氏は、鄭さんに対する人身攻撃を多数含むツイッター上の発言を収集して、まとめサイトを作成しました。SEALDsの一部支持者によって書かれたこれらの発言の中には、鄭さんに対する侮辱・脅迫および名誉毀損などの人権侵害に当たるおそれがきわめて濃厚なものが多数あります。野間氏は、鄭さんを「間抜け」と罵倒する題名をつけてそれらの発言をまとめることによって、外国人に対する人権侵害を批判するどころか支持を示す形で、広くネット上に流布し続けているのです。

社会運動家として自己の言説行為(まとめサイト作成なども含む)について、社会公衆に対し特に軽からぬ責任を負っている野間氏が本来なすべきことは、鄭さんに対する人権侵害がこれ以上拡散することを防ぐため、自分の作ったまとめサイトを即刻閉鎖することです。ところが野間氏は、「『社会運動家として』の責任上、まとめを閉鎖する可能性は一切なく、自らの意志をもって今後も意図的に公開しつづけます」と公言し、「鄭さんを罵倒するのが人権侵害でない」などと放言を続けています。

また深刻な問題として、複数の大学に関係する研究者が鄭さんへの人権侵害に積極的に加担していることです。今年の春から京都大学の研修員として研究をはじめた鄭さんに対して、同じ研究会に属するkztk_wtnb @am_not氏は、鄭さんの見解に対してなんら具体的・学術的な批判を展開することなく、「人文の研究者としての訓練を受けたかも怪しくなってしまった」、「研究者として人間としてもサイテー」、「馬鹿かと思う」、「歴史研究者として落第だ」などと、侮辱・名誉毀損的ツイートを繰り返し投げつけ、果ては「これから鄭玹汀さんに研究会で会う度に、彼女の論文だけを資料にして相当に捻じ曲がった曲解を施してやる」と脅迫的な言辞まで発しています。(なお、kztk_wtnb氏はなぜか最近アカウント名をzttnと変更しながら、ツイートの公開・非公開を繰り返し、現在氏のツイッターは非公開設定となっていますが、氏の鄭さんに対する上記の人権侵害発言は野間氏のまとめサイトを通じて、ネット上に今も流され続けています)。

研究者であるkztk_wtnb氏が、鄭さんの研究者としての信用を不当に失墜させる名誉毀損的ツイートを匿名で繰り返しているのは、法的問題である以前に、研究者倫理からしても深刻な問題です。匿名で鄭さんの研究業績に対し中傷を繰り返すkztk_wtnb氏の行為は、研究者として許されない卑劣かつ悪質なものです。しかもkztk_wtnb氏は、自分の所属や研究テーマについて推測可能なツイートを自ら流しておきながら、やたら匿名にこだわり、アカウント名をkztk_wtnbからzttnに変更するなど小細工を重ねつつ、自分の行った悪事がいざ露見しそうになると、被害者である鄭さんを逆に「人権侵害」者扱いするツイートを連投し、「鄭玹汀がFacebookで行った人権侵害とハラスメントの記録をまとめておきます」などと事実を捻じ曲げ、「鄭玹汀さんによる人権侵害とハラスメントの記録」と題するまとめサイトを作成するという、とんでもない名誉毀損的行為を繰り返しています

また、同じくキリスト教研究者の上原潔氏も、SEALDsについての鄭さんの問題提起に対し、その具体的内容(戦争責任問題や歴史認識問題)はスルーしながら、「一方的なdis」「思想研究者の非現実性」「上から目線」などといった否定的言辞を繰り返し投げつけたあげく、「歴史研究者なんだから、それぐらい分かれよな」などと横柄な態度で鄭さんを罵倒するに至っています。さらに、上原潔氏は鄭さんと面識がないにもかかわらず、「直接会って、説明したい」「直接会う機会もあるかもしれませんので、そのときに話したい」「会ったときに話せばいい」など、〈直接会う〉ことに異常にこだわるツイートを連投しています。面識のない鄭さんに対して否定的言辞を投げつけ、罵倒までしておきながら、〈直接会う〉云々と繰り返すことが、外国人女性である鄭さんに深刻な威嚇・脅迫的な効果を与えることは明白で、そうした効果を上原潔氏自身も認識していたらしきことは「喧嘩リア凸と思われたのだろうか」という発言からも分かります。

その後も7月27日に上原潔氏は、SEALDsに関して学生と研究者を比較する他の人のツイートを引きながら、「学者は負けすぎ。言いたい放題言って、ちょっと批判されると、人権侵害だなんだと騒ぎ立て、同僚や取り巻きに慰められて安心してる。あまりに情けない…。」などと発言しています。SEALDsに対する批評文をめぐる人権侵害の被害を訴えているのが鄭さんにほかならないことは、『週刊金曜日』(7月17日号)の記事にも出ているように、関係者には周知のことです。しかも、上原氏自身が行った鄭さんに対する人権侵害的行為の問題性は、かねてから指摘されているのです。したがって、上記の上原潔氏の発言が、自己保身を目的とする、鄭さん個人に対する印象操作および中傷行為にほかならないのは明白です。

しかし、この上原氏のよる中傷行為について鄭さんがFB上で指摘すると、上原氏は「学者一般の話であって個人攻撃でもなんでもない」などと不誠実な言い逃れをしたあげく、「あの人は、傷ついたプライドを、誰かを吊るし上げて、叩き潰すことで快復させようとしてる」などと鄭さんに対する中傷攻撃を行っています。しかも上原氏は、「周りの人たちは、新左翼系とか昔の活動家」などと、鄭さんがあたかも「新左翼」の関係者であるかのようにほのめかしています野間氏も同様のほのめかしをしていますが、そもそも日本における政治的権利をなんら認められていない外国人研究者である鄭さんは、日本のいかなる政治団体にも関係していないのです。上原氏や野間氏のこうしたツイートは、特別永住者(在日コリアン)よりもいっそう政治的権利を制限された立場に置かれている外国人の鄭さんに対して、深刻な社会的損失を与えかねない悪質きわまるものといえるでしょう。

そのほか、SEALDsの声明文を批評した私に対して罵倒や中傷を繰り返している大学非常勤講師で社会運動家の木下ちがや氏(政治学)もまた、「なんだかんだで文句つけるしか能がない鄭玹汀さん、大田英昭さんと、国会前にちゃんとくる大沢真里さん、山口二郎さんで決着ついたね」(6月26日)などと、私と並べて鄭さんに対する誹謗を行っています。ここで木下ちがや氏は、私が中国の大学に勤務していることと、鄭さんが政治的権利のない外国人であることを知りつつ、私たちの研究者としての信用を失墜させることを目的として、私たちが6月26日の国会前デモに参加していないという当然の事実について、それに参加した日本人学者と比較して貶めるという、悪質な印象操作を行っているわけです。

そもそもSEALDsに対する鄭さんの問題提起について、木下ちがや氏は研究者として責任ある批評を公にしているのでしょうか。日本の戦争責任・歴史認識問題や社会運動内のナショナリズムをめぐって韓国人の鄭さんが提起した問題に対し、日本人の政治学研究者かつ社会運動家としてSEALDsにも関わっている木下氏は、誠実に応答する義務があるはずです。ところが木下氏は、そうした当然の義務を怠るばかりか、「文句をつけるしか能がない鄭玹汀さん」などと実名を挙げて誹謗中傷を行っています。そもそも、鄭さんに対する人権侵害的バッシングが進行中であることを知りながら、その尻馬に乗って外国人への人権侵害を助長する発言を意図的に垂れ流す木下ちがや氏の行為の問題は、厳しく追及されるべきでしょう。

鄭玹汀さんに対する人権侵害にはさらにジャーナリズムも加担しています。『週刊金曜日』7月17日号(40~41頁)に掲載された、「SEALDsの見解をめぐりウェブ上で起きた批判と反論の応酬」と題する岩本太郎氏の記事は、SEALDsの支持者たちによって鄭さんに対する一方的なバッシングが行われたという事実を伏せ、さらに鄭さんの問題提起の主要部分である日本の戦争責任や歴史認識問題には触れず、批評文の一部の表現を恣意的に取り上げることによって、結果的に鄭さんに対する人権侵害の片棒を担いでいます。

外国人への人権侵害を助長するこうした記事が『週刊金曜日』に掲載されたことに対して、私を含む多くの市民が同誌編集部に抗議しました。私たちの抗議に対する回答が同誌8月7日号(66頁)に掲載されましたが、その内容はきわめて不誠実なものでした。回答文は、「小誌はもとよりあらゆる差別に反対しており、それを助長する意図はありません」と弁明し、私たちの抗議を「誤読」だと決めつけたのです。どこがどのように「誤読」なのかを具体的に説明することもなく。

そもそも『週刊金曜日』に対して私たちが問うているのは、加害の「意図」の有無などではなく、岩本氏の記事が結果的に外国人に対する人権侵害を助長している「事実」に対する編集部の「責任」なのです。被害者から自分自身の加害責任を追及されると、それは「誤読」だと被害者に責任を転嫁しさえする『週刊金曜日』編集部の態度は、ジャーナリズムとしていかがなものでしょうか。

社会正義の実現のために実践行動を行う社会運動家や、学術的真理の追究を使命とする大学研究者や、真実の究明と伝達を本分とするジャーナリズムは、自らの言論に対して、一般人よりもはるかに厳しい社会的責任を負っています。そうした社会運動家・研究者・ジャーナリストが、外国人研究者の問題提起に対して誠実な応答を怠り、あまつさえ人権侵害的バッシングに積極的に加担したり助長したりするという醜悪な光景が、私たちの眼前で展開されているのです。

鄭さんへの人権侵害的バッシングに加担する人たちは、安倍政権の戦争法案を批判するSEALDsの運動に何らかの形で参加あるいは共感しており、自分は正義の側にいると思い込んでいるふしがあります。安倍政権の戦争法案を阻止することが、日本社会の将来の平和にとって喫緊の課題であることは言うまでもありません。しかし、SEALDsに対し貴重な問題提起をした鄭さんを、自分たちが参加あるいは共感する運動にとって目障りな「敵」とみなして、彼女に打撃を与えることを正義だと信じ込んでいるらしき彼らの発想には、どこか恐ろしいものがあると私は感じます。鄭さんへの人権侵害的バッシングに加わっている人びとが、国家権力の手先や極右勢力ではなくて、安倍政権に批判的な社会運動家・研究者・ジャーナリストたちであるという事実に、私は驚愕させられます。

自分たちが正義と考える政治目的を実現するために、善良な市民(ましてや外国人)の人権を暴力的に蹂躙することも辞さない、といった雰囲気が日本の社会運動に広がってゆくならば、それはこの社会の民主主義を根元からやせ細らせ、腐食させてゆくことになるでしょう。それは、ある種のファシズムを日本社会に呼び込むことにつながりかねません。いまも進行している鄭さんへの人権侵害事件は、こうした事態の不吉な前兆であると、私は考えます。

この事件は、戦争法案阻止という「大事」の前の無視すべき「些事」などでは、決してありません。鄭さんに対する人権侵害を私たちが放置したり、眉をひそめるだけで通り過ぎたりするならば、日本の社会運動の内部に安倍政権と相似形の反民主主義勢力をのさばらせ、誰も予想しない深刻な結果をもたらしかねません。日本の社会運動は今、重大な分岐点に立っているのではないでしょうか。この事件を見過ごすことなく、鄭さんの人権をすみやかに回復させることは、日本の社会運動の健全な発展を願う私たちの義務であり、また東アジア諸民衆とともに平和的に生存することを希望する私たちの責任であると考えます。

なお、こうした問題意識のもとにfacebookの公開グループ「鄭玹汀さんの問題提起を受け止め、不当なバッシング・人権侵害を許さない会」が8月16日に発足し、359人の方が問題を共有してメンバーに加わっています(8月19日0時32分現在)。

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【追記】 FBグループ「鄭玹汀さんの問題提起を受け止め、不当なバッシング・人権侵害を許さない会」は20日、「社会運動上の人権侵害を許さない」に名称を変更しました。

「満洲国」の爪痕(7)神武殿旧址と牡丹園――日本の武道界と満洲侵略 [満洲国]

5月下旬の日曜日、長春の中心部にある「牡丹園」に出かけました。園内には牡丹(ぼたん)・芍薬(しゃくやく)など約二百六十品種・一万一千株が、七種の色に大別されて植えられています。満開になる5月下旬には一日およそ十万人の観光客が来園するとのことで、私が訪れた日も、繚乱する花々を楽しむ市民でにぎわっていました。
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牡丹園の由来は、日本の関東軍による満洲(中国東北部)侵略および「満洲国」建国の後、その国都とされた長春=「新京」の大規模な都市計画の一環として、市内を南北に貫く大動脈「大同大街」(現・人民大街)と新「帝宮」予定地とに挟まれたこの地に、都市公園の一つとして「牡丹公園」が1933年に建設されたことにあります。

日本敗戦による満洲国の滅亡に続く国共内戦など激動の時代を経て、この地は吉林大学の敷地となり、「牡丹公園」の西半分に大学関係施設が建てられた一方、東半分は「後花園」として残されました。この「後花園」がさらに改造されて98年「牡丹園」として一般開放され、市民の憩いの場となって今日に至るわけです。
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牡丹園の北側には、異様に大きな日本式屋根を載せた建物が見えます。P5240100.JPG
「紀元二千六百年」を記念して1940年に完成した「神武殿」旧址です。P5240104.JPG
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神武殿は、神道の祭祀施設を備えた総合武道場として建設され、柔道・剣道・弓道・相撲などの演武や試合を通じて、満洲における武道精神の宣揚が図られました。

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上の写真は、1942年に神武殿で開催された「建国十周年慶祝 日満交歓武道大会」に参加した合気道関係者の記念撮影です。中央右が合気道創始者の植芝盛平、左が植芝の高弟で満洲での合気道普及に努めた富木謙治です。

合気道と日本の満洲侵略との関係には浅からぬものがあります。「満蒙」の地に精神的な理想郷を建設することを夢見て1924年、大本教の出口王仁三郎が日本の関東軍特務機関の斡旋で満洲に渡った際、植芝がその身辺警護の役割で付き従ったことはよく知られています。こうして築かれていった軍関係者との密接なパイプを通じて、植芝の弟子の富木は1936年、関東軍からの招聘を受けて渡満し、新京の大同学院の講師として合気武道を指導、さらに1938年新京に建国大学が開設されるとその助教授(41年教授)となり、建国大学には正課として合気道が採用されることになりました(志々田文明『武道の教育力 ―満洲国・建国大学における武道教育』日本図書センター、2005年)。

日本敗戦後、富木はシベリア抑留を経て48年に帰国し、やがて早稲田大学教育学部教授に就任。日本の再軍備後は自衛隊徒手格闘の制定に協力し、75年には日本武道学会副会長に就任するなど、戦後も「活躍」しました。

ひとり合気道に限らず、日本帝国のアジア侵略に深く関与した武道界の責任は軽からぬものがあるでしょう。しかし、日本の武道界が自らの侵略責任に真摯に向き合ったという話を、私は寡聞にして知りません。

満洲国崩壊後、神武殿の建物は国民党軍校として使用され、さらに48年の東北人民解放軍による長春「解放」後は、東北大学(現・東北師範大学)および東北行政学院(現・吉林大学)がこれを使用し、57年には当時中国共産党が宣伝していた「百花斉放百家争鳴」「大鳴大放」のスローガン(自由な批判と討論の推奨)から「鳴放宮」と命名され、二千人収容可能な吉林大学の講堂となりました(その直後、「大鳴大放」は党内の「反右派闘争」へと暗転しますが)。

神武殿旧址は1990年、長春市の重点文物保護単位(重要文化財)に指定されたものの、まもなく吉林大学が移転すると建物はひどく荒廃し、屋根には雑草が生い茂るありさまとなりましたが、二年前の修復作業によって旧観を取り戻しました。しかし、日本帝国主義を象徴するこの建物をどう「活用」するのか、当局もまだ目処が立っていないようです。牡丹園の華やかなにぎわいとは対照的に、訪れる人もまばらな旧神武殿の正門はぴったりと閉じられ、重苦しい雰囲気を漂わせています。
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クロポトキン『相互扶助論』と近代日本 [日本・近代史]

昨日、神保町の古本屋の店頭に、赤茶けたクロポトキンの『相互扶助論』(P. Kropotkin, Mutual Aid)の英語版(1919年刊)を見つけた。百円で購入。
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『相互扶助論』は、クロポトキンがイギリス亡命中の1902年にロンドンで初版が刊行。たちまち反響を呼んで版を重ね、世界各国の社会主義者・アナーキストに大きな影響を与えた。日本では、クロポトキンと文通していた幸徳秋水が本書の翻訳に着手したものの、病を得たため山川均に交代して翻訳が続行された。その間「屋上演説事件」(1908年1月)で検挙された山川は、巣鴨監獄の中で第1・2章の翻訳を完成させ、出獄後の1908年6月に『動物界の道徳』と題してシリーズ「平民科学」の第四編として有楽社から出版した。
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(国立国会図書館近代デジタルライブラリーより http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/832768/73

この「平民科学」シリーズの序文に編者の堺利彦は次のように書いている。「科学に平民科学と貴族科学若しくは富豪科学との別を立てる訳は無い。然〔しか〕し今の世では、学問は殆んど富豪貴族の独占となるべき勢ひである。…(中略)…既に斯〔か〕くの如くなれば、彼等の科学には必ず階級的偏見が混じて居る。科学の真髄は固より一様に平民と貴族と富豪とに通ずべき者であるが、只だ其の実際の応用に至つては、或は故意に、或は不知不識〔しらずしらず〕に、枉〔ま〕げて自己階級の利益を計る事になる。…(中略)…そこで平民には平民の科学が必要である。平民は如何なる場合にも自ら考へて独立の判断を為す必要がある。

こうした観点から編纂された「平民科学」シリーズには、山川によるクロポトキンの『相互扶助論』の抄訳のほか、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』(1884年)のうち国家論を除く部分が堺利彦の訳で『男女関係の進化』と題して、シリーズの第三編として刊行されている(1908年)。当時の官憲によって最も危険な思想として厳しく取り締まられていた無政府主義や社会主義の主要著作をいかにして合法的に世に送り出すか、当時の人びとの苦心のあとが偲ばれる。

だが、「平民科学」シリーズの出版直後の1908年6月、堺・山川・大杉栄・荒畑寒村ら十六名が検挙され、うち十二名に重禁錮一年から二年半の判決が下った(赤旗事件)。社会主義者・無政府主義者ら二十四名に死刑判決が下され、うち十二名が処刑された「大逆事件」の大弾圧が始まるのは、その二年後である。

大逆事件という弾圧の嵐を「縊り残され」て生き延びた大杉栄は1915年の秋、東京の丸善の店頭にクロポトキンの Mutual Aidが売られているのを見たという(「動物界の相互扶助」『新小説』1915年10月)。丸善に置かれていたのは同年の初めにロンドンで刊行された廉価な普及版であったが、昨日私が神保町で百円で買ったMutual Aidはその二刷(1919年)なので、丸善で大杉が手に取ったのとほぼ同じ体裁のものと思われる。

大杉はこれを全訳し、『相互扶助論』と題して1917年10月に春陽堂から刊行した。この訳書も日本の読書界に非常な反響を呼んだようで、大杉が関東大震災で憲兵隊に虐殺された翌年の1924年6月には31版を重ねている。
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(国立国会図書館近代デジタルライブラリーより http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979698

1920年前後は、日本社会でアナーキズム思想が最も勢力を得た時期だ。同年、コミンテルンの密使からの要請で、上海で開かれた極東社会主義者大会に出席したのは大杉だったし、同年末に結成された日本社会主義同盟でも、アナーキストの勢力はマルクス主義者のそれと肩を並べていた(両者は未分化でもあった)。

そのころ、アナーキズムへの関心はアカデミズムにも広がっていた。東京帝国大学経済学部の紀要『経済学雑誌』の創刊号(1920年1月)には助教授森戸辰男の「クロポトキンの社会思想の研究」が掲載され、無政府共産の革命思想が紹介された。なお、森戸のこの論文は「国権の変更と国法の廃絶を企図」したと官憲によって断定され、森戸自身も新聞紙法の「朝憲紊乱」の罪で起訴されて、大審院で禁固3カ月の有罪判決が確定した(森戸事件)。大学における学問の自由を日本国家が蹂躙した一例として、忘れてはならない事件である。

おそらく1920年前後の無政府主義の華やかなりし頃、この列島社会の誰かが購入し、大震災・戦災さらには戦後の変転をもくぐりぬけ、何の因果か昨日たった百円で私の手に落ちたMutual Aid 。その赤茶けた頁をめくるたびに、古い紙の匂いとともにさまざまな感慨にとらわれる。

最後に、クロポトキンの『相互扶助論』の結論を大杉栄の訳文で引いておきたい(クロポトキン原著、大杉栄訳『相互扶助論』〔春陽堂、1917年(第31版、1924年)〕405~406頁)。

-----------------------------(引用はじめ)
相互扶助は、氏から氏族に、氏族の聯合に、民族に、そして遂に少なくとも理想の上にだけは全人類にまで拡張した。同時に又此の原則は精煉された。

原始仏教や、原始キリスト教や、或る回々教先達の文学や、宗教改革の初期の運動や、殊に又十八世紀及十九世紀に於ける合理的又は哲学的運動に於ては、復讐の観念や、『正当の報ひ』と云ふ観念、即ち善に報ゆるに善、悪に報ゆるに悪と云ふ観念を全く放棄する事が益々強く確かめられて来てゐる。『損害に対して復讐しない』と云ふ、又は隣人から受けようと思ふよりも多く与へると云ふ、より高尚な観念が、公平とか公正とか又は正義とか云ふ単純な観念よりももつと優れた、且つもつと幸福に導く原則、本当の道徳原則である、と主張されて来た。

そして人は、愛と云ふ常に個人的な若しくはたかだか氏族的なものによつてではなく、自分が一切の人類と一つのものであると云ふ意義に訴へて、其の意義によつて自分の行為を導かれるようになつて来た。

斯くして吾々は、人類進化の最初にまで遡る事の出来る相互扶助の実行の中に吾々の倫理観念の疑ふべからざる確実な起原を見出すのである。そして吾々は、人類の道徳的進歩に於ては、相互闘争よりも此の相互扶助の方が主役を勤めてゐると断言する事が出来るのである。そして又吾々は、此の相互扶助が今日猶広く拡がってゐると云ふ事に、吾々人類の更に高尚な進化の最善の保障を見出すのである。
-----------------------------(引用おわり。なお段落の区切りは引用者による)

三菱マテリアルとアジア人強制連行――中国人被害者との「和解」の陰に隠れた、朝鮮半島出身者に対する補償問題 [東アジア・近代史]

報道によれば、第二次大戦中に日本が実施した中国人の強制連行をめぐって、責任企業の三菱マテリアル(旧三菱鉱業)と中国側被害者の交渉団が包括和解に合意する方針を固めたという。
中国人強制連行和解へ 三菱マテリアル、3700人に謝罪金『中日新聞』7/24

和解合意案の主な内容は、(1) 三菱側は第二次大戦中、日本政府の閣議決定に基づき日本に強制連行された中国人労働者約3万9千人のうち3765人を三菱マテリアルの前身企業とその下請け会社の事業所に受け入れ、労働を強いたことで「人権が侵害された歴史的事実」を認める、(2) 三菱側は痛切な反省と深甚なる謝罪の意を表明する、(3) 三菱側は基金に資金を拠出し、対象者計3765人に対し一人当たり10万元(約200万円)を支払う、(4) 三菱側は記念碑建立費1億円、調査費2億円を拠出する、(5) 和解合意により、本件事案は包括的・終局的な解決と確認する、などである。

すでに19日、三菱鉱業が第二次大戦中に米国人捕虜を強制労働させていた件で、三菱マテリアルが米ロサンゼルスで米国人捕虜に謝罪したことについては、中国でも報道されており、中国メディアは中国人民に対する謝罪を強く要求していた(三菱为何只对美国道歉 中国不强怎能让日本低头『環球時報』7/22)。その後昨日から、三菱マテリアルが米国人捕虜への謝罪に続き、イギリス・オランダ・オーストラリア人捕虜そして中国人労働者に対しても謝罪する意向であることが報道された(三菱高管:将向其他二战受害国致歉并赔偿中国劳工『中国日報』7/23 )。そして今朝、和解合意案の内容が日本メディアを引用する形で報じられている。

今回の合意は一見、旧日本帝国のアジア諸国に対する侵略責任の清算と和解に向けて一歩前進したかのようにみえる。しかし今回の三菱マテリアル側の態度には、決して見過ごすことのできない深刻な問題が伏在していることを、あえて指摘せねばならない。

今朝の新華社通信は、三菱マテリアルの社外取締役の岡本行夫氏(元外交官僚、小泉内閣時の内閣官房参与、首相補佐官)が22日に東京で行った会見について詳報している。その中には、日本メディアの報道には管見の限り見いだせなかった内容が含まれているので、ここに紹介しておく。

それによれば、岡本氏は、日本企業が第二次大戦時に外国人労働者に奴隷的労働を強いたことの罪を認め、「われわれは戦争捕虜にもっともひどい苦難を強いた企業の一つであるから、必ず謝罪せねばならない」と述べ、強制連行された中国人労働者に対しても謝罪する意向であることを示した。

ただし新華社によると、岡本氏の謝罪対象には「例外」があるという。それは朝鮮半島である。岡本氏は会見において、日本が朝鮮を併合し植民地統治を実施したことは「朝鮮半島で犯した最大の罪」であることを認め、その内容として、日本が朝鮮の人びとの民族性を根絶しようとし、名前や言語を奪い、神道の信仰を強い、二等公民として扱ったことを指摘している。しかし岡本氏は同時に、朝鮮半島出身の労働者に対して賠償すべきかどうかについては、「別問題」だと述べた、というのである。岡本氏の語るところによれば、朝鮮半島は当時日本の植民地統治下にあり、従って朝鮮半島の労働者は日本公民に属し、日本人と同じく国家総動員法に基づき労働に従事していた、という。(一日企高管表示愿向中国劳工道歉 达成和解、新華社、7/24

戦時中に奴隷的な苦役を強いられた欧米諸国や中国の人びとに対しては謝罪する一方、同様の苦役を強いられた朝鮮半島出身者に対してはいまだ自らの責任を認めようとしない、という三菱マテリアルの態度は、歴史認識の狡猾な使い分けであると、私は考える。ここに、先日の世界遺産登録をめぐる日本政府と韓国政府との論争で、朝鮮半島出身者に対する「強制労働」を最後まで認めなかった安倍政権の態度と近似するものがあるのは明白だろう。このような歴史修正主義を、日本国は東アジアのパワーゲームにおいて巧妙に利用しようとしているのではないか、という疑いすら抱かせる。こうした日本側の卑劣なやり方は、東アジアの平和に資するどころか、深い禍根を未来に残すことにつながるだろう。

そもそも侵略責任問題について、日本政府はアジアの民衆に対し、その公的な責任を真摯に引き受けて謝罪・賠償を行ったことは一度もない。今回の件も、一民間企業と中国人被害者の方々との間の和解合意案であり、日本政府が公式に罪を認めて謝罪・賠償するわけではない。確かに、被害者の方々個人に対する金銭補償は喫緊の課題であろうが、しかし民間基金方式による謝罪金の支払いというやり方では、日本の侵略責任問題が本質的に清算されたことにならないことは、慰安婦問題をめぐり「アジア女性基金」が引き起こした混乱をみても明らかではないか。

旧日本帝国の後継国家である日本国の民である私たちは、東アジアの民衆たちと将来平和のうちに生きていくためにも、その最低限の条件として、旧日本帝国が犯した侵略責任を日本政府に真摯に引き受けさせ、謝罪と賠償を行わせなければならない、という重い責務を負っている。それを抜きに、戦後の「平和国家」日本(?)を自画自賛したり、東アジアの平和のために日本国が何かリーダーシップを取れるなどと夢想したりすることの傲慢さに、私たちは思いを致さねばならないだろう。

SEALDs問題をめぐる『週刊金曜日』の記事(岩本太郎氏)について [日本・現代社会]

『週刊金曜日』7月17日号(40~41頁)に掲載された、「SEALDsの見解をめぐりウェブ上で起きた批判と反論の応酬」と題する岩本太郎氏の記事を読みました。SEALDsの公式HPの声明文について鄭玹汀氏が自身のフェースブックに批評を書いたことをきっかけに、先月からネット上に発生した出来事について、岩本氏は記しています。しかし岩本氏のまとめ方にはいくつかの深刻な問題があり、この間の出来事について読者をミスリードする恐れがあると感じました。以下、その問題点を記します。

第一に、「批判と反論の応酬」という見出し自体が問題です。岩本氏は、SEALDsの見解に対する批判者として鄭氏と私の名前を挙げ、「SEALDsを支援・応援する人々」との間に「応酬」があったかのように書いています。確かに、私と「SEALDsを支援・応援する人々」との間には相互の批判・反批判の「応酬」がありました。しかし鄭氏の批評に対しては、「SEALDsを支援・応援する人々」から一方的に多数の誹謗中傷や侮辱の言葉が投げつけられたことで、議論の前提自体が破壊されてしまいました。それは決して「批判と反論の応酬」と呼べるものではなく、明らかに一方的なバッシングというべきものだったのです。

そもそも私と鄭氏は、SEALDsの声明文が、日本国が過去の侵略責任をいまだ清算していないという現実をスルーして、「平和主義/自由民主主義を確立した日本には、世界、特に東アジアの軍縮・民主化の流れをリードしていく、強い責任とポテンシャルがあります」などと語っていることを問題にし、そうした姿勢がアジアの人びとに対していかに〈傲慢〉で〈独善〉的なものであるかを指摘する点で、共通する論旨を展開しています。

しかし不思議なことに、暴力的なバッシングは鄭氏に対してのみ起きたのです。このバッシングに加わった人たちの多くは、鄭氏が用いた〈傲慢〉・〈独善〉的という言葉に非難の矛先を向けました。ところが、私も鄭氏と同様の論旨でこれらの言葉を用いているにもかかわらず、私に対するバッシングは起きていません。なお私は、SEALDsの中心メンバーの一人である奥田愛基氏から直接の応答を受けましたが、鄭氏の批評はSEALDsメンバーから無視されつづけています。

こうした不可思議な現象の背景には何があるのでしょうか?米津篤八氏は、私が日本人男性で鄭氏が韓国人女性であるという属性の違いゆえの、差別があるのではないかと推測しています。私も米津氏の推測におおむね同意します。

さらに問題なのは、『週刊金曜日』における岩本氏の記事が、このような差別を紙媒体で再生産していることです。岩本氏は、東アジアに平和的秩序を打ち建てるための大前提は日本国が過去に犯した侵略責任を真摯に清算することにある、という私の主張のポイントを一応指摘しています。ところが岩本氏は、鄭氏の主張の具体的内容には何ら触れることなく、SEALDsの見解を鄭氏が「独善的かつ傲慢な姿勢のあらわれ」と批判した、とだけ書いているのです。

上述のように、SEALDsの支持者たちによって鄭氏に対する一方的なバッシングが行われたという事実を伏せて、「批判と反論の応酬」などという表題でこれを糊塗した岩本氏は、さらに鄭氏の主張のうち特定部分のみを恣意的に取り上げることによって、結果的にこのバッシングの片棒を担いでしまっている、と言ってよいでしょう。これが岩本氏の記事がはらんでいる第二の問題点です。

鄭氏に対しSEALDs支持者たちの行ってきたバッシングの実態を示すものとして、社会運動家の野間易通氏が、鄭氏に対する数々の悪質なツイートを集めたうえで、鄭氏を「間抜け」呼ばわりして作成したまとめサイトがあります。そうした悪質ツイートやまとめサイト作成が、鄭氏に対する名誉毀損ないし侮辱に当たる可能性の非常に高いことや、ツイートの一部に脅迫の要素すら含まれていることを、SEALDs問題をめぐっては私と異なる見解に立つ高林敏之氏もはっきりと指摘しています

ところが岩本氏は記事の中で、「互いに距離が離れた場所でネットでの応酬もあってかキツイ言葉も飛び交い、大田さんが『人権侵害』と言い出すまでにエスカレートした」と記しているのみです。岩本氏は当然、野間氏が作成したまとめサイトの存在を知っているはずですが、ここに含まれる悪質なツイートをも「キツイ言葉」として済ませてしまうところに、岩本氏の人権感覚が現れています。ここに第三の問題点があり、上記の第二の問題点とあわせて、岩本氏の記事が結果的に、現在もなお続いているSEALDsの一部支持者たちによる鄭氏に対する人権侵害を助長しかねないことを、私は恐れます。

私は6月26日の拙ブログ記事で、SEALDs支持者による鄭さんへの一方的なバッシングと人権侵害について次のように書きました。「日本に暮らす外国人の人権を、本来その擁護者であるはずの社会運動の人びとが、理不尽にも踏みにじるという事態は、いまだかつて目にしたことがありません。しかもそれを、運動の中心にいる関係者たちが容認するならば、日本の社会運動史上まず類例をみない醜悪な不祥事となるでしょう」、と。

日本の市民・社会運動の有力な媒体である『週刊金曜日』に、こうした醜悪な人権侵害を容認し助長しかねない記事が掲載されたことに、私は強い憤りを感じます。

SEALDs(シールズ)の奥田愛基さんへの応答 [日本・現代社会]

SEALDs(シールズ)の奥田愛基さんへ

SEALDsのHPの文言をめぐり、私が拙ブログに書いた批判について、facebook上にコメントをいただき、ありがとうございます。

SEALDs(シールズ)は大学生を中心とする運動であるにもかかわらず、奇妙なことに、私の批判に対して応答・反批判・罵倒してきたSEALDsの支持者たちは、ほとんどが大学生とは思われない年齢の人ばかりだったので、驚いていました。ようやく、SEALDs本来の大学生メンバーであり、HPの声明文を書いた一人である奥田さんから応答をいただい、大変喜んでおります。以下、大きく三つの問題について述べさせていただきます。

1、旧日本帝国のアジア侵略責任の問題

繰り返し述べてきたように、東アジアに平和的な秩序を打ち建てるための大前提は、かつて日本帝国が犯したアジア侵略の責任を今の日本国家が真摯に引き受け、清算することです。したがって日本の平和運動は、日本政府が過去の侵略責任を引き受け清算するよう、常に圧力をかけ続けねばなりません。それを怠る限り、日本の平和運動は東アジア各国の人びとから真の信頼を得ることはできません。

SEALDsの声明文は「対話と協調に基づく平和的かつ現実的な外交・安全保障政策を求めます」と述べながら、日本国の侵略責任問題をどのように追及してゆくかについては一言も触れていません。にもかかわらずSEALDsが「先の大戦による多大な犠牲と侵略の反省を経て平和主義/自由民主主義を確立した日本には、世界、特に東アジアの軍縮・民主化の流れをリードしていく、強い責任とポテンシャルがあります」と主張することは、東アジアの平和に何らつながらないばかりか、そうした日本人の傲慢な独善性に対する、アジアの多くの人びとの反発を呼び起こすことでしょう。

私がそのように断言するのは、私が中国の東北部に住み、皮膚感覚としてそれを感じるからです。日本に住む日本人が、かつて日本に侵略されたアジアの人びとの気持ちを理解するには、多くの想像力が必要でしょう。

私の住んでいる長春は、1931年に日本軍が中国東北部を侵略して傀儡国家「満洲国」をでっち上げ、その国都として「新京」と改名された都市です。新京市の建設のため、多くの地元農民の土地が暴力的に奪われました。日本は満洲国に32万人の日本人開拓移民を送り込みましたが、彼らが移住した土地は、もともとそこに住んでいた中国人の農地を奪い取ったものでした。そうした日本の暴虐に怒って抗日運動を起こした人びとは徹底的に殺戮され、あるいは人体実験の材料として生きたまま身体を切り刻まれました。現在でも、そのことを知らない中国人はまずいません。

今東アジアで注目されている慰安婦問題を含め、大日本帝国のアジア侵略責任を公式に日本政府が引き受けたことは、戦後七十年の間一度もありません。この問題について、SEALDsの声明文はなぜ一言も触れていないのでしょうか。

私の意見に対して、SEALDs支援者たちから多くの反論が寄せられましたが、私が最も重視しているこの問題については、不思議なことに誰ひとりとして真剣に触れようとしません。ただひとり奥田さんだけが、「過去の過ちの清算、真の意味での和解ができる日が、1日でも早くる事を望んでおります」と、この問題にきちんと向き合う姿勢をみせていただけました。

もしSEALDsが東アジアの平和秩序の建設に積極的な役割を果たしたいのであれば、ぜひメンバーの間で討論を行い、SEALDsの公式見解いわば最小限綱領として、日本政府が卑劣にも逃げ続けてきた侵略責任の清算という問題を必ず声明文の中に入れねばならないと、私は考えます。

2、日本の民主主義と沖縄の問題

奥田さんは、SEALDsの学生が30人ほど入れ替わり立ち代り辺野古で座り込みをしてきた事実を教えてくれました。そういうことであれば、沖縄の「復帰」後四十年以上経った今も、日本国の民主主義が沖縄を除外し続けている事実を、SEALDsのメンバーたちが知らないはずはないでしょう。

にもかかわらず声明文には、「戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重し」、「日本の自由民主主義の伝統を守る」、「戦後70年間、私たちの自由や権利を守ってきた日本国憲法の歴史と伝統」、などとあります。これらの文言を読むと、ここで言う「この国」「日本」からは沖縄が除外されているのではないか、と私は感じざるを得ません。

戦後70年、日本国の民主主義が一貫していかに欺瞞的なものだったかを、現在沖縄で行われている闘いは私たちに突き付けています。SEALDsが沖縄の闘いと真に連帯することを求めるのであれば、現在の声明文は必ず改められねばならないと、私は考えます。

3、韓国人研究者に対するSEALDs支持者による深刻な人権侵害の問題

6月18日、韓国人研究者の鄭玹汀さん(在日コリアンではありません)はご自身のfacebook上に、SEALDsに対する批評文を載せました。その内容は、日本の戦争責任問題や歴史認識問題についてSEALDsの声明文の姿勢を問い、そこに垣間見られる若い世代のナショナリズムについて警鐘を鳴らしたものです。それは日本の社会運動に対し、外国人の視点からその問題点を客観的に指摘した、きわめて妥当な内容の批評です。しかし、鄭さんがこの批評文をfacebook上に載せた直後から、野間易通氏ら多数のSEALDs支持者による一方的で猛烈なバッシングがツイッター等を通じて始まりました。それは鄭さんの文章に対する単なる批判ではなく、誹謗中傷・罵倒の限りをきわめ、彼女の全人格を根本的に否定するものでした。果ては脅迫行為にまで至り、日本に住む外国人としての静謐な生活が実際に脅かされています。深刻な人権侵害といえるでしょう。

鄭さんは、この春に再来日したばかりの韓国人研究者であり、在日コリアンではありません。もちろん日本の政治・社会運動とは何の関係ももっていません。彼女は外国人としての立場から、SEALDsのHPを読んでその客観的な感想を正直にご自身のfacebookに書いただけのことです。ところが、彼女に対してSEALDsの一部支持者たちが加えている誹謗中傷・脅迫攻撃は、恐怖と恥辱を与えることで口を封じ、さらには彼女の研究者としてのキャリアまで粉々に打ち砕くことを目的とするような、悪質で卑劣な暴力そのものなのです。

ようやく日本での研究生活が落ち着いてきたばかりの外国人女性が突然、多くの日本人たちから理不尽な攻撃・脅迫行為を受けたのです。その恐怖と苦悩はいかにひどいものだったでしょう。海外に住む私には、そのとてつもない恐怖がある程度察せられます。

鄭さんには、そんな理不尽な仕打ちを受けるべき何の過失もありません。ただSEALDsの声明文を批評しただけで、野間氏らSEALDsの一部支持者たちから袋叩きに遭ったのです。しかも、彼らによる攻撃は今でも延々と続いています。

SEALDsの声明文の冒頭には、「私たちは、自由と民主主義に基づく政治を求めます」と謳われています。批判を受け取り、議論をもって応答するのは、民主主義社会の最も基本的な原則でしょう。ところがSEALDsの一部支持者たちは、「自由と民主主義に基づく政治」を自ら否定するかのように、鄭さんの批評に対して、それを受けとめることを頭から拒絶し、誹謗・中傷・脅迫という暴力をもって答えているのです。

奥田さん。あなたは、執拗に続いている鄭さんに対するこの深刻な人権侵害を、当然知っているでしょう。あなたを含むSEALDsの中心メンバーが、こうしたやり方はおかしいとはっきり表明しさえすれば、この異常事態はすぐに止むはずです。ところが、あなたがたは今に至るまで、人権侵害を防ぐための行動を何一つ起こそうとしていない。なぜですか?まさか、SEALDsを批判した者・運動の邪魔をする者は、外国人であれ、徹底的に打撃を与えて当然だ、という発想をもっているわけではないでしょう?

日本に暮らす外国人の人権を、本来その擁護者であるはずの社会運動の人びとが、理不尽にも踏みにじるという事態は、いまだかつて目にしたことがありません。しかもそれを、運動の中心にいる関係者たちが容認するならば、日本の社会運動史上まず類例をみない醜悪な不祥事となるでしょう。

たとえいかに「正当」な政治的な目的があったとしても、運動遂行の手段として、一人の善良な外国人の人権を踏みにじることが許されてはなりません。それを黙認するような運動は、決してまっとうな運動とはいえないのです。

奥田さん、そしてSEALDsメンバーのみなさん!野間氏らSEALDsの一部支持者たちによって今も執拗に続けられている人権侵害を一刻も早く止めるため、早急に行動することを私は要請します。

〔後記:一部字句を修正しました。6月26日6:26(北京時間)、7:23(同)〕
〔後記2:一部リンク切れのため、リンク先を変更しました。6月27日14:12(北京時間)〕

〔後記3:「人権侵害」についての補足説明 6月28日2:13(北京時間)、一部字句修正11:27(同)〕
野間易通氏は、鄭玹汀さんを批判するツイッター上の発言を集めたまとめサイトをつくっています。SEALDsの一部支持者によって書かれたこれらの発言のうち、U氏やk氏の発言の中には、鄭さんに対する脅迫および名誉毀損などの人権侵害に当たるおそれがきわめて濃厚なものが多数あります。野間氏はそうした鄭さんに対する脅迫・名誉毀損に当たる恐れが強い発言をまとめただけでなく、被批判者を「間抜け」呼ばわりする題名をつけることによって、それら人権を侵害する発言を批判するどころか支持を示す形で、広くネット上に流布しています。

なお6月28日1時58分(北京時間)現在、U・k両氏のツイッターは非公開設定になっています(二人が自分の発言の不適切さを認識し、自発的に非公開にした可能性があります)。にもかかわらず、野間氏が作成したまとめサイトのために、脅迫・名誉毀損に当たる恐れが強い発言が、現在もネット上の不特定多数に流布され続けているのです。

野間氏は社会運動家として、自己の言説行為(まとめサイト作成なども含む)について、社会公衆に対し特に軽からぬ責任を負っています。

野間氏が本来なすべきことは、鄭さんに対する脅迫・名誉毀損に当たる恐れが濃厚な発言がこれ以上拡散することを防ぐため、自分の作ったまとめサイトを閉鎖することです。しかし野間氏はそれを意図的に怠ることによって、U・k両氏が自分のツイッターを非公開にしたあとも、鄭さんの人権を侵害する彼らの発言を不特定多数が閲覧できる状況に置き、その流布を助長しています。

本文中にある「野間氏らSEALDsの一部支持者たちによって今も執拗に続けられている人権侵害」とは、以上の事実を指します。

大井赤亥氏への回答(SEALDsをめぐって) [日本・現代社会]

SEALDsのHPの文言について論じた拙論に対して、今度は大井赤亥氏からfacebook上で批判がありました。

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大井氏によれば、SEALDsのHPの文言は、トイレによく見られる「いつもトイレをきれいにご使用いただきありがとうござます」という標語と同様のレトリックである。この標語は、全ての人がトイレをきれいに使っているという事実を示すものではなく、「だれもがトイレをきれにつかっている」という建前をもって、「あなたもトイレをきれいに使え」とプレッシャーをかけるためのものだ。「日本は平和国家である」「日本は自由と民主主義を確立した」「日本は犠牲と侵略を反省した」というSEALDsの主張もそれと同様、現にある事実を示すものではなく、「自民党でさえ『建前』として述べているその規範を前提化し、それを当然とすることで、『だから現政権も平和主義でいろよ』『自由と民主主義にしたがって振る舞えよ』『侵略と犠牲を反省しろよ/少なくとも河野談話・村山談話くらいは保持しろよ』というプレシャーをかけている」のだ、という。 そして大井氏によれば、SEALDsは必ずしも日本が完全な平和・自由・民主主義の国家だと考えているのではない。ただしこれらの標語は「建前」として安倍政権すら踏襲しているわけだから、この標語によって「そういう『建前』を守れよ、少なくともその線にまで戻って、その線を順守して政治を行えよ、というメッセージ」をSEALDsは発している。そしてこのメッセージこそ、現在の政局や言葉をめぐるヘゲモニー闘争において重要性を増しているのだ、というのである。
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以上が大井氏の主張の要旨ですが、私はSEALDsのHPの主張をこうしたレトリックとして捉えようとする氏の発想自体に、疑義を覚えます。

そもそも大井氏が言う日本の「トイレ」の標語のレトリックは、多数の人が日常的にトイレを比較的きれいに使っているという事実の前提があって、はじめて成り立つものでしょう。世界有数の清潔さを誇る日本の公衆トイレだからこそ、そうした標語は機能することができるわけです。しかし例えば、仮に中国の普通の公衆トイレにそのような標語を掲げたとしても、残念ながら何の意味もありません。現実と余りにも異なるそうした標語は、政権党の下部組織が街のいたるところに掲げている「きれいごと」と同じく、民衆には皮肉な一瞥で無視されるだけでしょう。

SEALDsのHPの文言も同様です。「先の大戦による多大な犠牲と侵略の反省を経て平和主義/自由民主主義を確立した日本には、世界、特に東アジアの軍縮・民主化の流れをリードしていく、強い責任とポテンシャルがあります」という主張が、仮に大井氏のいうような政権にプレッシャーを与える「レトリック」であるとしましょう。そこにもやはり、日本国民の多数が(完全無欠でないまでも)比較的に「平和主義者」であり「自由と民主主義」の擁護者であり、かつての「侵略と犠牲」をある程度「反省」している、ということが前提として想定されているのです。

ところが私が批判するのは、大井氏をはじめ多くの人が無自覚にもっているそうしたナイーブな発想自体なのです。

確かに、現天皇が「平和主義者」(?)だと称賛されるのと同レベル程度には、日本国民も「平和主義者」なのでしょう。だが私は、こうした意味で「平和主義」をうんぬんする言葉の薄っぺらさ、胡散臭さに、とても耐えられません。

何度でも言いましょう。旧大日本帝国のアジア侵略の責任を日本国が真摯に引き受け、謝罪し、清算しない限り、日本国の「平和主義」なるものは空念仏だ、と。大日本帝国の侵略責任に対して真剣に取り組まないような「平和運動」も同じことです。私の知っている中国の人たちは、そうした運動に対して表面上は愛想よく笑顔を見せるかもしれませんが、侵略責任をスルーするような日本人の偽善を心の底でせせら笑うに違いありません。

そうした侵略責任問題の中で、東アジアで今最も注目されているのは慰安婦問題です。ところが、日本の全国紙の中で最も「リベラル」と言われる『朝日新聞』や、同紙および岩波書店の『世界』が重用する「リベラル」な知識人たちすら、慰安婦問題について日本国の国家責任を真剣に追及しようとしません(拙ブログ記事「『朝日』の慰安婦関連記事について」および「高橋源一郎氏の「慰安婦」論」 を参照)。こうした日本国の現状で、「先の大戦による多大な犠牲と侵略の反省を経て平和主義/自由民主主義を確立した日本には、世界、特に東アジアの軍縮・民主化の流れをリードしていく、強い責任とポテンシャルがあります」などと主張することがいかに傲慢で独善的なものかは、言うまでもないでしょう。

たとえこうした文言が政権に「プレッシャー」を与えるためのものだとしても、侵略責任への真剣な取り組みへの決意を欠いたその「平和主義」が結局、「河野談話」・「村山談話」を擁護する程度の線で止まってしまうのは明白でしょう。これらの談話は周知のように歴代の日本政府が踏襲してきたもので、現在の安倍極右政権すら建前としては否定していません。この現状維持の線では、日本政府が慰安婦問題をはじめとする過去の侵略の国家責任を引き受けることは、まずありえません。ところが東アジアに平和的秩序を打ち建てるために一歩を踏み出すには、この線を突破して、日本国に過去の侵略責任を引き受けさせ、謝罪・清算させるという市民の決意が、絶対に不可欠なのです。

「自由と民主主義」についても同様のことがいえます。大井氏の論理では、日本国民の多数が一応は「自由と民主主義」の擁護者だということが前提にされなければなりません。だがそうした意味での日本国の「自由」や「民主主義」がいかに薄っぺらなものであるかは、前の二つの記事で指摘したとおりです。そもそも、「自由と民主主義に基づく政治を求めます」と宣言しているSEALDsの支援者らしき多くの人びとが、ある韓国人の女性研究者(在日コリアンではない)の冷静な問題提起に対して罵倒と誹謗を集中させるという、およそ民主主義とは正反対の行動を続けているのは、もはやブラックユーモアというしかないでしょう(この問題については近く再論する)。

大井氏には、まずは中国に来て、地方都市の路上の公衆トイレにでも入り、果たして件の標語のレトリックが有効なものかどうか、とくと考えてみることを勧めます。そのうえで、日本の「平和主義」「自由と民主主義」の惨状に照らして、SEALDsのいくつかの主張の妥当性・有効性についても、再検討していただきたいものです。

〔後記:一部字句修正しました。6月25日14時25分(北京時間)〕

木下ちがや氏からの批判に答える(SEALDsをめぐって) [日本・現代社会]

SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)のHPの主張について私が拙ブログで展開した批判(http://datyz.blog.so-net.ne.jp/2015-06-21-1 )に対して、旧知の木下さんからfacebook上で次のような批判が来ました。「偉そうな文章ですね。きちんと運動に同伴もしないで遠方から高踏な批評を述べてことたれり、という姿勢にしかみえない」と。

これに対して、私は次のように応答しておきます。

木下さん、お久しぶりです。あなたの言う「運動」とはなんでしょうか?あらゆる人の日常のなかに「現場」があり、そこに自分なりの「運動」がある、というのが私の考えです。ご自分たちの関わる「運動」だけが特別に重要で、それに「同伴」しないからといっていきなり罵倒するような傲慢な態度からは、真の民衆の連帯は生まれようがないのではありませんか?そうした態度こそ、120年に及ぶ近代日本の社会運動を毒しつづけ、敗北に追いやった要因の一つではなかろうかと、私は考えております。

それから、私は「SEALDs」の「運動」自体を批判したのではなく、そのHPにある主張(おそらくこの団体の綱領のようなものでしょう)について、私の信じる立場から批判したのです。私の立場というのは、拙ブログで繰り返し表明しているように、東アジアに真の平和をもたらすための前提条件は、旧大日本帝国のアジアに対する侵略責任を日本国が真摯に引き受け、清算することにある、というものです。この立場は私が拙ブログで一貫して述べ続けているもので、ここから「SEALDs」のHPが掲げる「安全保障」政策を批判したわけです。

もしあなたの信じる立場が私と異なるのであれば、「高踏」的の一語で済ませるのではなく、どうぞ反批判をしていただけませんか。有益な議論というものはそういうもので、残念ながら党派性の濃厚な近代日本の社会運動に一貫して欠けているものだと思います。「SEALDs」のHPは「日本の自由民主主義の伝統」を称揚していますが、私が戦後日本の「民主主義」の欠陥をこそ見つめねばならないと考えるのは、そういうわけです。

私は自分の立場から誠意をもって「SEALDs」のHPの主張を批判しました。ところが残念ながら、それはあなた方にいわせると、「偉そう」、「運動の邪魔をするな」ということになるのでしょう。批判が生産的な議論の材料として受け入れられず、友か敵かという党派的・二分論的発想のために、不毛な罵倒の応酬となってしまうのも、日本の民主主義の未熟を示すものでしょう。「SEALDs」の若者たちは、こうした大人たちを反面教師としながら、日本の民主主義を前進させてほしいと、私は心から願います。

(後記:木下氏については当初匿名としていましたが、諸般の事情を考え、日本の社会運動の当事者として責任をもった言論を展開していただくことを期待し、実名に変更しました。6月25日)

長春だより

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