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幸徳秋水著『長広舌』(1902年)とその漢訳本『広長舌』(二版、上海:商務印書館、1903年) [東アジア・近代史]

今から115年前に世に出た日本最初の帝国主義批判の書、幸徳秋水『二十世紀之怪物 帝国主義』(警醒社、1901年4月刊)。この書が出版直後から日本の読書界に歓迎されただけでなく、当時日本に亡命していた清国の知識人趙必振(1873~1956年)によって漢訳され、東アジアの漢文世界に広く紹介されたことは知られている。翌年刊行された幸徳の著作『長広舌』(人文社、1902年2月刊)も、ただちに「中国国民叢書社」同人の手で漢訳され、その年のうちに上海の商務印書館から『広長舌』の名で出版された。さらに翌年の幸徳著『社会主義神髄』(朝報社、1903年7月刊)もまたすぐさま漢訳され、その後数種類の刊本が出版されている。こうした事実をみると、幸徳の著作が辛亥革命前の清国でとくに注目されていたことがわかる。

このたび、漢訳版『広長舌』(二版、上海:商務印書館、光緒29年〔1903年〕8月刊)のコピーを入手した。
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この漢訳本を幸徳の原著(『幸徳秋水全集』第3巻、所収)と比較してみると、前者が後者の単なる翻訳ではないことがわかる。

例えば、『長広舌』所収の「無政府党の製造」という論説がある。当時の幸徳は無政府主義(アナーキズム)には批判的であり、次のように述べている。

鼠と古綿の多き所には、黒死病は多く伝染せらる。国家社会の不潔にして、絶望てふ鼠と古綿と多き所には、無政府党てふ病菌は多く入来たるなり。ここを以て無政府党は欧州大陸に多かりき。しかも社会制度の改革に多く心を用ひたるの英国には、その害甚だ猖獗ならざるを得たり。今や米国またこの兇行〔米大統領マッキンレーの暗殺事件(1901年9月)を指す〕を見るに至る、これ無政府党の害毒蔓延の恐るべきを知ると同時に、一面に於て米国近来の政策が如何に無政府党の伝染を誘致せんとするの傾向あるかを、想に足らん。」(『幸徳秋水全集』第3巻、324頁)

腐敗と絶望の蔓延した国家社会には「無政府党」という「病菌」がはびこる。だから欧州大陸には無政府党が多いけれども、社会制度の改革に尽力してきた英国では無政府党の害はあまりひどくない。これが幸徳の趣旨だ。

ところがこの箇所が、漢訳本『広長舌』(42頁)では次のように【翻訳】されている。
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これを仮に訓読して書き下してみると、次のようになる。

死鼠と古綿と、腐敗の気その蒸発するや、人に伝染し以て人に病死を致すに足る。国家社会の組織の不潔、その弊害殆どこれに類せんか。今試みに起て世界の国家社会の組織を問うに、その多数の人民をして絶望せしむる者、全球において遍く索むれば、殆ど一ならず覯せん。無政府党の風潮、愈〔いよいよ〕伝わりて愈〔いよいよ〕広く、愈〔いよいよ〕播かれて愈〔いよいよ〕高きは、無政府党の自らこれを伝えこれを播けるにあらず。世界の国家社会の組織、以てその伝わるを助け、その播かるるを助くるもの有るなり。今欧州大陸の人民、無政府党殆どその十の六、七に居りて、その精を殫〔つ〕くし神を竭〔つ〕くし、魂を聚〔あつ〕め魄を斂〔あつ〕め、以て社会の制度を改革せんと企図せり。則ち英〔国〕の無政府党を以て巨擘たらしめ、その勢力の膨張猖獗、全欧に於いて亦〔また〕首にして一指を屈す。美〔米国〕これに次ぎ、俄〔ロシア〕又これに次ぐ。時より厥〔その〕後、其〔その〕害毒蔓延、則ち吾の敢えて知る所にあらざるなり。

国家社会の腐敗・絶望と無政府党の蔓延との関係についての幸徳の説明が、漢訳本では何倍にも引き伸ばされているだけでなく、「無政府党は欧州大陸に多かりき」という幸徳の言葉は、「欧州大陸の人民のうち十分の六、七は無政府党」だということになっている。また、英国では社会制度の改革のおかげで無政府党が少ない、という幸徳の説明は、漢訳本では、無政府党は全身全霊で社会制度の改革を企図しており、英国における無政府党の勢力は欧州屈指だ、というふうに書き換えられているのだ

これは単なる誤訳のレベルを超えている。この漢訳本を読んだ清国の人びとは、急速な勢いで世界に広がる「無政府党」のショッキングな印象を植え付けられ、これこそが世界の最先端の革命潮流だ、と考えたのではないか。それが翻訳者の意図なのは明らかだろう。こうした恣意的な「誤訳」を通じた思想の伝播の可能性というのも興味深く、さらに検討したいところだ。

慰安婦問題をめぐる日韓「合意」――「進歩的」メディアと「革新政党」の翼賛化 [東アジア・近代史]

12月28日、慰安婦問題をめぐる日韓両政府の「合意」が発表された。人権問題を軽視しつづけてきた両国の現政権のあり方からいって、さもありなんという内容だ

岸田外相による、慰安婦問題に対する日本政府の「責任」と「おわび」についての発言は以下のとおり:

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慰安婦問題は当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。安倍首相は日本国首相として、改めて慰安婦としてあまたの苦痛を経験され、心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する。
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これは、93年の河野談話における【本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる】という表現と、村山内閣の時に始まった「アジア女性基金」の事業に際しての「総理の手紙」の一節【わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ】とを組み合わせたものにすぎない。

なお、「総理の手紙」の「わが国としては、道義的な責任を痛感」という言葉のうち「道義的な」という形容が削除され、「日本政府は責任を痛感している」という表現になったことは、この「責任」が単なる道義的なものにとどまらず法的責任をも含意しうると解釈できることから、これを「前進」と評価する向きがあるかもしれない。だがそれはまやかしである。

なぜなら、今回の「合意」内容のうち、韓国政府が元慰安婦被害者支援を目的とした財団を設立し日本政府が10億円程度の資金を拠出する件について、「10億円の拠出は事実上の国家賠償ではないか」という記者団からの質問に答えて、岸田外相が「賠償ではない」と明言しているからだ。日本政府が「賠償」を否定しつつ、「責任を痛感し」「おわびと反省の気持ちを表明」してみせても、その「責任」の意味は曖昧であり、日本政府が法的責任を認めて公的に謝罪したということはできない

元慰安婦被害者を支援する財団の資金全額を日本政府が拠出するというのは、かつて「アジア女性基金」の「償い金」が民間からの寄付という形をとったために批判を浴びたことを踏まえてのことだろう。だが、外相が日本政府の資金拠出を「賠償ではない」と断言したことは、その拠出が慰安婦問題に対する国家責任とは無関係だということを意味する。ここに、植民地支配に対する国家責任は65年の日韓条約で解決済みとする日本政府の立場を守る意図があるのは、「アジア女性基金」のときと同じである(なお、慰安婦問題をはじめとする日本の東アジア諸国に対する戦後責任の問題がここまでこじれにこじれた元凶の一つが、この「アジア女性基金」という姑息な事業であることについては、拙ブログ記事「『朝日』の慰安婦関連記事について」2014年12月29日を参照)。

しかも、上記財団は韓国政府が設置するとしたことで、財団の事業実施についての責任を韓国政府に負わせる形になっている。さらに、これらの措置によって慰安婦問題が「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」ことに両国政府が合意したことによって、韓国政府は慰安婦問題につき今後日本政府を批判するのは困難となる。このことは、元慰安婦被害者の方々が自らの尊厳と人権の回復を日本政府に求めるうえで、大きな障害となり得る。

このような今回の日韓両政府の「合意」は、慰安婦問題を含む植民地支配に対する日本の国家責任・賠償問題は65年の日韓条約で解決済みとする日本政府の従来の主張に沿いつつ、河野談話・アジア女性基金という自民党の歴代政権が容認してきた線を越えないところで、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的」な解決を強引に図ろうとするものだ。元慰安婦被害者の方々の尊厳と人権の回復を犠牲にしながら、国家と外交の論理を優先する両政府の姿勢が、そこには露骨に表れている。日韓両政府の協調・協力のもとにアジア・太平洋地域の覇権秩序の維持をもくろむ米国の意向がそこに働いているであろうことも、論をまたない。

聯合ニュースによれば、当事者である元慰安婦被害者の方々自身、今回の合意に納得していない。キム・ボクドンさんは「交渉前に私たちの意思を聞くべきなのに、政府からは一言もなかった」と批判した。キム・グンジャさんは「被害者は私たちなのに政府がなぜ勝手に合意するのか。私たちは認めることができない」と述べた。そしてイ・オクソンさんは、政府が「こっそりと協議を進め、もてあそんでいる」とした上で、「わが政府が慰安婦被害者を売り飛ばした。公式謝罪と賠償を私は必ず受けなければならない」と話したという 。元慰安婦被害者の支援団体である韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が、「日韓両国政府が持ち出した合意は、日本軍『慰安婦』問題に対する被害者たちの、そして国民のこのような願いを徹底的に裏切った外交的談合」であり、「被害者を再び大きな苦痛に追いやる所業」だと非難したのも当然だろう。

当事者である元慰安婦被害者の方々の思いを踏みにじる日韓両政府のこうしたまやかしの「合意」に対し、日本のマスメディアはどのように反応しただろうか。「両政府がわだかまりを越え、負の歴史を克服するための賢明な一歩を刻んだことを歓迎したい」(『朝日新聞』12月29日社説)、「戦後70年、日韓国交正常化50年という節目の年に合意できたことを歓迎したい」(『毎日新聞』12月29日社説)、「ようやく解決の道筋ができた。一九九〇年代に元慰安婦の支援事業として取り組んだ「アジア女性基金」や、民主党政権時代に提案された救済案など、これまで蓄積された日本の取り組みが実を結んだといえよう」(『東京新聞』12月29日社説)。このように日本の「進歩的」(?)マスメディアが、日韓両政府の「合意」に軒並み「歓迎」を表明し、これまでの「日本の取り組み」を自画自賛しているのは、この国の言論状況の頽廃ぶりを示して余りある。

ちょうど一年前、私は拙ブログの記事の中で次のように書いた。

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慰安婦問題をめぐる真の論点は、この深刻な人権侵害に対して日本政府は国家賠償と公的な謝罪を行い、早急に元慰安婦の方々の人権回復に努めなければならないという主張と、賠償請求は1965年の日韓基本条約で解決済みであるとする日本政府の立場との、根本的対立にある。この論点からすると、最近の『産経』『読売』と『朝日』とのバトルは茶番劇でしかない。実際は、『産経』から『朝日』に至るまで、上の日本政府の立場に立脚した「国民的」合意の醸成に努めているのが現状なのだ。(中略)

日本国の戦後責任問題をめぐるこうした道筋を掃き清めたのが、「アジア女性基金」であった。日本国家が過去の侵略責任を真に清算し、日本の人々がアジアの民衆とともに新しい平和的秩序を築いてゆく道は、こうして永遠に閉ざされてゆくのだろうか?
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「『朝日』の慰安婦関連記事について」2014年12月29日

今考えれば、今回の枠組みでの日韓「合意」に向けて、日本側の「国民的」同意を醸成するための上からのメディア対策および下からそれに呼応する動きは、かなり前から始まっていたといってよい。極端に対外強硬的で排外的な言説を右派メディアに垂れ流させておきながら、実際の政治・外交上の決定としては従来の自民党政権の線に引き戻しただけで、「進歩的」メディアからの拍手を取り付けたわけだ。翼賛的な言論状況をつくるためのきわめて巧妙なメディア操作ということができる。

さらに問題なのは、このようにして巧みに作り出された翼賛的な雰囲気に、日本共産党までも乗ってしまったことだ。共産党の志位委員長は今回の日韓「合意」について、次のような談話を発表した。

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日韓外相会談で、日本政府は、日本軍「慰安婦」問題について、「当時の軍の関与」を認め、「責任を痛感している」と表明した。また、安倍首相は、「心からおわびと反省の気持ちを表明する」とした。そのうえで、日本政府が予算を出し、韓国政府と協力して「全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒しのための事業」を行うことを発表した。これらは、問題解決に向けての前進と評価できる
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「日本軍「慰安婦」問題 日韓外相会談について」『しんぶん赤旗』2015年12月29日

ここで指摘されている日韓「合意」の内容について、志位氏が「前進と評価」したのは、驚くばかりだ。すでに上に述べたように、今回の「合意」には、20年前(!)と比べても実質的に「前進と評価できる」要素は何もないのである。ましてや、共産党はつい四年前、慰安婦問題について次のような見解を出していたはずだ。

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 「慰安婦」問題は日本の侵略戦争の責任にかかわる重大問題であり、日本自身による解決が求められるものです。政府による公的な謝罪と賠償は、国際社会への日本の責任です
(中略)

 日本政府は1993年になってようやく「慰安婦」問題について国の関与を認め、謝罪しました(河野洋平官房長官談話)。日本が侵略戦争と植民地支配の誤りを反省するなら、「慰安婦」問題についても謝罪し、賠償するのは当然です。しかし村山富市内閣は、「基金」による「償い金」というあいまいなやり方で政府の責任を回避したため、日本は世界からの批判の声で包囲され、孤立してきたのがこれまでの経過です。 (中略)

  とりわけ直接大きな被害をこうむった朝鮮半島の韓国、北朝鮮などの訴えは切実です。韓国では元「慰安婦」の人たちのほとんどが「償い金」受け取りを拒否し、日本政府の公的な謝罪と賠償を求め、裁判にも訴えています。

 日本政府は65年の日韓基本条約で、請求権の問題は「解決済み」といっていますが、これは通用しません。
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「主張/日本軍「慰安婦」問題 解決は世界への日本の責任」『しんぶん赤旗』2011年12月26日

すなわち四年前に共産党は、「『基金』による『償い金』というあいまいなやり方で政府の責任を回避した」アジア女性基金を批判し、元慰安婦被害者が「償い金」受け取りを拒否した事実を指摘して、「政府による公的な謝罪と賠償は、国際社会への日本の責任」だと明言していたのである。この立場からすれば、「政府による公的な謝罪と賠償」がなく、「あいまいなやり方で政府の責任を回避した」アジア女性基金のやり口そのままの「財団」への資金拠出をもって慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的」な解決とした今回の日韓「合意」は、とうてい受け入れられるものではないはずだ。その「合意」を志位委員長が「問題解決に向けての前進と評価」したのは、かつての共産党の立場を放棄したことを意味するのではないか。

なお共産党は12月24日、天皇が臨席する国会開会式に出席することを表明し、この式への出席を1948年以来一貫して拒否してきた党の方針を根本的に転換した(拙ブログ記事「日本共産党と天皇制――国会開会式への出席をめぐって」参照)。今回の日韓「合意」を共産党が受け入れたのも、来年の参院選ならびに「国民連合政府」構想を念頭に置く「現実路線」の一環とみることができよう。こうした目前の目的のために、天皇制問題およびそれと深い関連をもつ旧日本帝国の侵略責任問題という、共産党の歴史的存在の思想的根源にかかわるところで、なし崩し的な方向転換・右旋回が行われつつあるのは、きわめて深刻なことだと私は考える。

メディアにおける翼賛的な言論状況と、政界における挙国一致的な雰囲気の醸成。「リベラル・左派」の側から行われている最近のこうした動きは、安倍極右政権と同様、いやそれ以上に、日本国の民主主義を根底から腐蝕させつつあるのではないか。

三菱マテリアルとアジア人強制連行――中国人被害者との「和解」の陰に隠れた、朝鮮半島出身者に対する補償問題 [東アジア・近代史]

報道によれば、第二次大戦中に日本が実施した中国人の強制連行をめぐって、責任企業の三菱マテリアル(旧三菱鉱業)と中国側被害者の交渉団が包括和解に合意する方針を固めたという。
中国人強制連行和解へ 三菱マテリアル、3700人に謝罪金『中日新聞』7/24

和解合意案の主な内容は、(1) 三菱側は第二次大戦中、日本政府の閣議決定に基づき日本に強制連行された中国人労働者約3万9千人のうち3765人を三菱マテリアルの前身企業とその下請け会社の事業所に受け入れ、労働を強いたことで「人権が侵害された歴史的事実」を認める、(2) 三菱側は痛切な反省と深甚なる謝罪の意を表明する、(3) 三菱側は基金に資金を拠出し、対象者計3765人に対し一人当たり10万元(約200万円)を支払う、(4) 三菱側は記念碑建立費1億円、調査費2億円を拠出する、(5) 和解合意により、本件事案は包括的・終局的な解決と確認する、などである。

すでに19日、三菱鉱業が第二次大戦中に米国人捕虜を強制労働させていた件で、三菱マテリアルが米ロサンゼルスで米国人捕虜に謝罪したことについては、中国でも報道されており、中国メディアは中国人民に対する謝罪を強く要求していた(三菱为何只对美国道歉 中国不强怎能让日本低头『環球時報』7/22)。その後昨日から、三菱マテリアルが米国人捕虜への謝罪に続き、イギリス・オランダ・オーストラリア人捕虜そして中国人労働者に対しても謝罪する意向であることが報道された(三菱高管:将向其他二战受害国致歉并赔偿中国劳工『中国日報』7/23 )。そして今朝、和解合意案の内容が日本メディアを引用する形で報じられている。

今回の合意は一見、旧日本帝国のアジア諸国に対する侵略責任の清算と和解に向けて一歩前進したかのようにみえる。しかし今回の三菱マテリアル側の態度には、決して見過ごすことのできない深刻な問題が伏在していることを、あえて指摘せねばならない。

今朝の新華社通信は、三菱マテリアルの社外取締役の岡本行夫氏(元外交官僚、小泉内閣時の内閣官房参与、首相補佐官)が22日に東京で行った会見について詳報している。その中には、日本メディアの報道には管見の限り見いだせなかった内容が含まれているので、ここに紹介しておく。

それによれば、岡本氏は、日本企業が第二次大戦時に外国人労働者に奴隷的労働を強いたことの罪を認め、「われわれは戦争捕虜にもっともひどい苦難を強いた企業の一つであるから、必ず謝罪せねばならない」と述べ、強制連行された中国人労働者に対しても謝罪する意向であることを示した。

ただし新華社によると、岡本氏の謝罪対象には「例外」があるという。それは朝鮮半島である。岡本氏は会見において、日本が朝鮮を併合し植民地統治を実施したことは「朝鮮半島で犯した最大の罪」であることを認め、その内容として、日本が朝鮮の人びとの民族性を根絶しようとし、名前や言語を奪い、神道の信仰を強い、二等公民として扱ったことを指摘している。しかし岡本氏は同時に、朝鮮半島出身の労働者に対して賠償すべきかどうかについては、「別問題」だと述べた、というのである。岡本氏の語るところによれば、朝鮮半島は当時日本の植民地統治下にあり、従って朝鮮半島の労働者は日本公民に属し、日本人と同じく国家総動員法に基づき労働に従事していた、という。(一日企高管表示愿向中国劳工道歉 达成和解、新華社、7/24

戦時中に奴隷的な苦役を強いられた欧米諸国や中国の人びとに対しては謝罪する一方、同様の苦役を強いられた朝鮮半島出身者に対してはいまだ自らの責任を認めようとしない、という三菱マテリアルの態度は、歴史認識の狡猾な使い分けであると、私は考える。ここに、先日の世界遺産登録をめぐる日本政府と韓国政府との論争で、朝鮮半島出身者に対する「強制労働」を最後まで認めなかった安倍政権の態度と近似するものがあるのは明白だろう。このような歴史修正主義を、日本国は東アジアのパワーゲームにおいて巧妙に利用しようとしているのではないか、という疑いすら抱かせる。こうした日本側の卑劣なやり方は、東アジアの平和に資するどころか、深い禍根を未来に残すことにつながるだろう。

そもそも侵略責任問題について、日本政府はアジアの民衆に対し、その公的な責任を真摯に引き受けて謝罪・賠償を行ったことは一度もない。今回の件も、一民間企業と中国人被害者の方々との間の和解合意案であり、日本政府が公式に罪を認めて謝罪・賠償するわけではない。確かに、被害者の方々個人に対する金銭補償は喫緊の課題であろうが、しかし民間基金方式による謝罪金の支払いというやり方では、日本の侵略責任問題が本質的に清算されたことにならないことは、慰安婦問題をめぐり「アジア女性基金」が引き起こした混乱をみても明らかではないか。

旧日本帝国の後継国家である日本国の民である私たちは、東アジアの民衆たちと将来平和のうちに生きていくためにも、その最低限の条件として、旧日本帝国が犯した侵略責任を日本政府に真摯に引き受けさせ、謝罪と賠償を行わせなければならない、という重い責務を負っている。それを抜きに、戦後の「平和国家」日本(?)を自画自賛したり、東アジアの平和のために日本国が何かリーダーシップを取れるなどと夢想したりすることの傲慢さに、私たちは思いを致さねばならないだろう。

『朝日』の慰安婦関連記事について [東アジア・近代史]

『朝日新聞』の過去の慰安婦報道について検証する「第三者委員会」の報告書が出されたのは今月22日。その翌日、「記事を訂正、おわびしご説明します」という記事が出た。それを受けてか、『朝日』は「慰安婦問題を多角的に考えていくため、国内外の識者に様々な視点で語っていただく企画を始めます」ということで、慰安婦問題をめぐる企画記事を28日から掲載しはじめている。その「識者」のトップバッターとして起用されたのが、「アジア女性基金」の理事を務めた大沼保昭氏だ(「(慰安婦問題を考える)アジア女性基金の検証を 明治大特任教授・大沼保昭さん」『朝日新聞』12/28)。

この人選および記事の内容とも、慰安婦問題に対する『朝日』の姿勢に対し、改めて疑念を抱かせるものだ。

そもそも「アジア女性基金(女性のためのアジア平和国民基金)」とは何か。日本の朝鮮植民地支配に対する国家賠償問題は、65年の日韓基本条約で韓国の請求権が放棄されたので解決済みだ、というのが日本政府の主張である。しかし1990年代になると、民主化の始まった韓国で、それまで沈黙を強いられてきた多くの元慰安婦の方々が日本政府の責任を追及する声を上げ始め、これを無視し続ける日本政府の非人道性に対して国際的な非難が高まろうとしていた。そうした非難をかわすため、日本政府は93年、「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」慰安婦問題について「お詫びと反省」を述べたいわゆる「河野談話」を発し、談話の認識に基づいて元慰安婦に対する「償い」事業を95年から始めた。これが「アジア女性基金」だ。

この「アジア女性基金」の活動について、それに携わった大沼氏は上の『朝日』記事で次のように説明している。「日本政府と基金はその後、歴代政権の下で、総理のおわびの手紙、国民の拠金からの償い金200万円、国費から医療福祉支援金120万~300万円を364人の元慰安婦の方々に手渡し、さらに現代の女性の人権問題にも取り組んできた」と。

このように、「アジア女性基金」の元慰安婦の方々に対する「償い」活動が、日本国家を主体とする公的な謝罪と賠償ではなくて、もっぱら民間からの寄付による基金方式をとったのはなぜか?そこに、植民地支配に対する国家責任は65年の日韓条約で解決済みとする日本政府の立場を守る意図があったのは、疑いないところだ。

国庫からの支出は「医療福祉支援金」とし、賠償ならぬ「償い金」を民間からの寄付としたところに、この事業が日本国家の公的な賠償でないことを示す政府の意図がはっきりと読み取れる。また、総理の「おわびの手紙」は、「拝啓 このたび、政府と国民が協力して進めている「女性のためのアジア平和国民基金」を通じ、元従軍慰安婦の方々へのわが国の国民的な償いが行われるに際し、私の気持ちを表明させていただきます。…(中略)…心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。」とあり、この「おわびと反省」があくまで総理個人の「気持ち」にすぎず、日本国家の公的な謝罪ではないことも、ここに明確に示されている。

このように、どこかの官僚がこねくりまわしたに違いない周到なやり方をとった「アジア女性基金」の本質は、日本国家の公的な謝罪・賠償という形を避けつつ、慰安婦をめぐる人道問題に対する国際社会の非難を回避するための姑息策、というにあった。韓国政府認定の207人の元慰安婦の方々の中で、この「償い金」を受け取ったのは61人にすぎず、多数がこれを拒否したことに、この事業の性格が現れている。こうした無残な結果は、「償い金」事業を行う前からある程度予測できたことで、もし事業の中心者たちがすべての元慰安婦の方々の速やかな人権回復を第一の目的としていたのであれば、受け取り拒否の続出が予想される民間寄付(非国家賠償)という形を採用したはずがない。事業の中心者たちが日本政府の立場の維持に腐心して姑息策をとったことで、多くの慰安婦の方々の人権はついに回復されることなく、経済的困窮のなかに放置され続けるという、最悪の結果がもたらされたのだ。

もちろん私は、「アジア女性基金」事業において、主観的には人道目的の善意からこれに熱心に携わった人たちが数多くいることを否定しない。しかし、事業の無残な失敗が明らかになったからには、その結果責任を真摯に反省したうえで、元慰安婦の方々の真の人権回復を早急に実現するための新たな取り組みに尽力してしかるべきだろう。「過てば則ち改むるに憚ることなかれ」、「過ちて改めざる、これを過ちという」(論語)。

だが、大沼氏をはじめ「アジア女性基金」に深く関与した人たちの多くは、この明白な過ちを改めないばかりか、自己弁明にこれつとめ、あまつさえ批判者を誹謗、攻撃し続けている。例えば大沼氏は上の『朝日』記事で、「基金」について「日本の政府と国民が責任を果たすぎりぎりの施策だった」と釈明し、さらに次のように発言している。

---------------------(引用はじめ)
韓国の支援団体とメディアは、罪を認めない日本から「慰労金」を受け取れば被害者は公娼になるとまで主張してこの償いを一顧だにせず、逆に日本批判を強めた。これは日本国民の深い失望を招き、日本の「嫌韓」「右傾化」を招く大きな要因となった。 また日韓のメディアは償い金を「見舞金」、「慰労金」と報じ、欧米メディアは「慰安婦」を「性奴隷」と表記するなど、不正確で偏った報道をくりかえした。日本政府はこうした報道に十分反論せず、基金による償い活動の広報を怠った。これに加えて第1次安倍政権下での政治家の不適切な発言、日本の一部の排外主義的な反発や口汚い嫌韓言説が諸国で報じられたため、「性奴隷制度を反省しない日本」というイメージが国際社会に広がってしまった。
---------------------(引用おわり)

このように氏は、「アジア女性基金」の失敗の責任ばかりか、日本の「右傾化」の責任までも、「韓国の支援団体とメディア」になすりつけて恥じようとしない。こうした極端に独善的な言説を『朝日』が「慰安婦問題を考える」企画の第1回に掲載したことは、意味深長だ。

さらに大沼氏は、欧米メディアが「慰安婦」を「性奴隷」と表記することを、「不正確で偏った報道」だとしているが、旧日本軍の慰安婦制度が「戦時性奴隷制」であったことは今や国際社会の常識だ(例えば2014年8月6日付国連ニュース )。大沼氏には、国連人権高等弁務官事務所や国連人種差別撤廃委員会に対して「偏向だ」と抗議に出向くことを、ぜひお勧めしたい。

慰安婦問題をはじめとする、日本の東アジア諸国に対する戦後責任の問題がここまでこじれにこじれた元凶の一つが、「アジア女性基金」という姑息な事業であることは、確かだと思う。この事業には、主観的な善意から多くの「進歩的」(とみなされていた)知識人・文化人が参加したが、その無残な失敗に対する当事者の真摯な自己反省は少なく、むしろ聞こえてくるのは自己弁明(例えば、和田春樹「慰安婦問題―現在の争点と打開への道」『世界』2014年9月号)や、大沼氏のような逆ギレ的な八つ当たり攻撃ばかりだ。自己正当化に汲々とする彼らの不遜な態度が、『朝日』『世界』など「進歩」的(?)メディアを今も毒し続けている。事実ここから、「未来志向」を装ういかがわしい「中立」的言論(例えば高橋源一郎氏)や、当事者性を欠いた「和解」論(朴裕河氏など)が、続々と現れているのだ。

慰安婦問題をめぐる真の論点は、この深刻な人権侵害に対して日本政府は国家賠償と公的な謝罪を行い、早急に元慰安婦の方々の人権回復に努めなければならないという主張と、賠償請求は1965年の日韓基本条約で解決済みであるとする日本政府の立場との、根本的対立にある。この論点からすると、最近の『産経』『読売』と『朝日』とのバトルは茶番劇でしかない。実際は、『産経』から『朝日』に至るまで、上の日本政府の立場に立脚した「国民的」合意の醸成に努めているのが現状なのだ。岡本行夫氏や北岡伸一氏らをメンバーとする慰安婦報道検証の「第三者委員会」の設置および報告書の公表、それに基づく「おわび」、といった『朝日』の対応は、そうした「国民的」合意に参加するため日本政府・安部政権に向けて出した「詫び証文」のように映る。

日本国の戦後責任問題をめぐるこうした道筋を掃き清めたのが、「アジア女性基金」であった。日本国家が過去の侵略責任を真に清算し、日本の人々がアジアの民衆とともに新しい平和的秩序を築いてゆく道は、こうして永遠に閉ざされてゆくのだろうか?過去に自分の犯した過ちに頬かむりしたまま、口先で「未来志向」を唱えたところで、誰からも信頼や尊敬を得ることはできない。このままでは、日本社会の前途にたちこめる暗雲も永遠に晴れることはないだろう。

「満映」から「長影」へ(2) [東アジア・近代史]

「満洲映画協会」(満映)についての前回の投稿の続き。

1945年8月、ソ連軍が満洲(中国東北部)に進攻し、日本の敗戦とともに満洲国も崩壊した。その直後の8月20日、満映理事長の甘粕正彦は自殺。長春はソ連軍の軍政下に置かれた。

映画製作の政治的重要性を知る中国国民党と共産党は、満映を自勢力の支配下に接収するため、それぞれ水面下で工作した。中国共産党は密かに党員を満映に送り込み、元日本共産党員で満映職員の大塚有章を通じて多数の日本人スタッフの協力を得ることに成功し、9月「東北電影工作者聯盟」を発足させた。大塚はマルクス経済学者河上肇の義弟で、1932年に日本共産党に入党し、いわゆる赤色ギャング事件の実行犯として逮捕され、懲役十年の判決を受けて服役。出獄後1942年満洲に渡り、甘粕の庇護を受けて満洲映画協会上映部巡映課長に就任していた。

東北電影工作者聯盟は、満映理事の和田日出吉との交渉の末、満映の権利を接収する合意を得た。こうして共産党は、満映獲得競争で国民党に一歩先んじ、10月1日、「東北電影公司」を設立した。同公司の技術者や職員の多くは満映の人員を引き継ぎ、多数の日本人が引き続き雇用された。大塚と西村龍三・仁保芳男の三名は同公司の指導機構の委員に加わり、約200人の日本人スタッフがその運営に協力したという。

その後、国共内戦が始まる中、中国東北にも国民党が進軍し、中国共産党は長春をいったん放棄した。長春を占領した国民党は旧満映の施設を接収したが、その直前に東北電影公司は多くの機材を合江省興山(現・黒竜江省鶴崗市)に移動させて、ここに「東北電影製片廠」を設立、日本人スタッフもこの逃避行に従い、中国共産党の闘士たちと苦楽をともにしながらここで映画製作に携わった。長影旧址博物館にはこうした日本人たちの協力について説明するパネルが展示されており、1946年末に東北電影製片廠の芸術・技術・事務三部門に在籍していた日本人84名全員の名前が記されている。その中には、映画監督の内田吐夢・木村荘十二らの名がみえる。
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国共内戦下の困難な状況で、東北電影製片廠が製作した映画としては、『民主東北』が有名だ。『民主東北』は47~49年に製作された十七編のシリーズで、その大半は内戦をめぐるプロパガンダ的ニュース映画だが、劇映画・人形劇なども含まれており、現存するフィルムは国共内戦期の重要な映像資料となっている。
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(『民主東北』第1・2輯「民主聯軍営中的一天」1947年5月1日 http://www.56.com/w22/play_album-aid-7861381_vid-NjE1MTc1ODc.html

なお、この『民主東北』シリーズの製作には、日本人スタッフも重要な役割を果たした。撮影の福島宏・岸寛身・気賀靖吾、編集の岸富美子らである。うち岸富美子は、京都日活を経て39年満洲に渡り満映に入社、李香蘭主演の「白蘭の歌」(1939年)などの編集に関わった経歴をもつ映画人だ。彼女は数年前のインタビューで、東北電影製片廠での思い出を次のように語っている。

「〔満映の〕国策映画を作ってきた自分が、急に中国共産党主導の映画づくりにかかわり、日本軍の蛮行を描くなかで、『本当に日本はこんなことをやったのか』という驚きと戸惑いも。また映画と政治はどうかかわるのかと深刻に考えたこともありました」。「私は長男を生んだばかりで育児も大変。当時中国には私たちのような技術者がいなかったので、たびたび徹夜作業も。その時は、宿舎まで授乳のためにジープで送迎してくれたり、監督は気を使ってくれました。期日までに完成し、中国電影局からOKが出た時は、撮影所あげて万歳しました」。(『日中友好新聞』2008年8月5日 http://www.jcfa-net.gr.jp/shinbun/2008/080805.html )。なお彼女は53年に帰国した後、新藤兼人らと独立プロをつくるなど、戦後日本の映画界でも活躍した。(『はばたく映画人生―満映・東映・日本映画 岸富美子インタビュー』せらび書房、2010年)

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(旧日本陸軍の九二式歩兵砲。長影旧址博物館に展示。中国共産党の人民解放軍は、かつて抗日戦争中に鹵獲した九二式歩兵砲を大量にコピー生産し、国共内戦や朝鮮戦争に投入した。)

1948年5月、反転攻勢に出た中国共産党の東北人民解放軍は長春を包囲、五か月にわたる包囲戦の末、10月に国民党軍を降伏させた(この包囲の間、長春市内に数十万の餓死者が出たといわれる)。こうして国民党の手に落ちていた旧満映の建物・施設は再び共産党に接収され、翌年東北電影製片廠も旧満映の敷地に戻った。その後55年、東北電影製片廠(東影)は長春電影製片廠(長影)へと改名する。
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(現在の長影)

東北電影製片廠で活躍した日本人スタッフの一人に、草創期のアニメーション・人形劇映画作家として有名な持永只仁(1919~1999年)がいる。持永は戦前から戦中にかけて、芸術映画社の漫画映画班でアニメ製作に携わった後、45年に渡満し満映に入社した経歴をもつ。彼は東北電影製片廠で、人形劇映画『皇帝夢』(1947年)や、アニメ映画『甕中捉龞』(1948年)などを製作。
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さらに上海電影製片廠で『謝謝小花猫』(1950年)、『小猫釣魚』(1951年)などを作った。
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(『小猫釣魚』https://www.youtube.com/watch?v=evjK_hgfnUg )

53年に帰国した後も、持永は日中友好に関わり、1967年10月に中国を訪問した際には、毛沢東と親しく面会している(一位让中国人民难忘怀的日本动画专家持永只仁 http://shaoer.cntv.cn/children/C20976/20110331/100277.shtml )。
没後の2006年、東方書店から持永の自伝『アニメーション日中交流記』が刊行された。
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ケーテ・コルヴィッツ――中国、日本そして沖縄 [東アジア・近代史]

ケーテ・コルヴィッツ(1867~1945)の版画「織工の行進」(1893-98)の複製を研究室の壁に貼っている。すると先日、中国の学生から魯迅の本を通じて知っていると言われ、少しびっくりした。
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確かに魯迅は、1936年に『凱綏•珂勒惠支(ケーテ・コルヴィッツ)版画選集』を自ら編集し、上海の三閒書屋から出版している。この画集は日本にも送られており、宮本百合子が敗戦直後に書いた文章「ケーテ・コルヴィッツの画業」の中で紹介している(『真実に生きた女たち』創生社、1946年)。また日中戦争勃発前夜の当時、版画家・上野誠は中国人留学生劉峴の勧めで、東京・神田の内山書店でこの画集を買って傾倒し、以後の版画制作に決定的な影響を受けたという。上野はその時の思い出を次のように記す。

「平塚運一先生の紹介で会った劉峴は、文豪魯迅の序文付の自作版画集を私にくれた。魯迅に推薦される人物なら意おのずから通じるだろうと、先の作品の余白に”日本帝国主義戦争絶対反対”と書いて渡すと、真意たちどころに通じ硬い握手となった。この劉君が神田一ツ橋の内山書店へ行ってケーテ・コルイッツの画集を買うように勧めてくれた。これは魯迅編集で今は貴重な初版本として愛蔵している。盧溝橋事件が勃発すると、急ぎ帰国するからと挨拶に来た劉君に、何点かの作品を進呈したら、上海で発表すると約束してくれた。この人は立派な版画家になり今も健在である。コルイッツの画業に導かれた劉君との出会い。若き日のこの思い出は、いつも私を初心に帰らせてくれる。」(『上野誠版画集』日本平和委員会、1975年。「ひとミュージアム上野誠版画館」HPの「版画館通信」より重引 http://hito-art.jp/NIKKI-4-6-21.htm )。

このとき、劉峴に託して上海で発表してくれるよう頼んだ上野の版画作品は、日本の中国侵略を告発するものだったという。上野は次のように回想する。

「その頃、いわゆる満州国に駐屯する日本軍は匪賊討伐に名を借り、中国人や在満朝鮮人の抵抗運動に惨虐な弾圧を加えていた。ある時、郷里で一人の帰還兵から弾圧の記録写真を見せられ息を呑んでしまった。たとえば捕らえた人々を縛り上げて並ばせ、その前で一人ずつ首を切る。今や下士官らしきが大上段に振りかざした日本刀の下に、首さしのべ蹲る一人、とらわれびとらの戦慄にゆがんだ顔、諦めきった静かな顔、反対側の日本人将兵はいかにも統制された表情で哂っている者さえいる。屠殺場さながらなのもあった。切り落とした生首が並べられ、女の首まであった。戦利品の青龍刀・槍・銃などが置かれて将校兵士らが立ち、戦勝気取りだが国際法を無視したこのおごり、逸脱退廃、自ら暴露して恥じない力の過信憤激したわたしは、背景に烏を飛び交わせ暗雲を配し、叉銃の剣先に中国人の首を刺し、傍らには面相卑しく肩いからせた将校を立たせた版画を作り、ひそかに持っていた」(同上)。

北京魯迅博物館の黄喬生氏によれば、ケーテ・コルヴィッツの作品が魯迅によってはじめて中国で紹介されたのは1931年のこと。この年の2月、中国左翼作家聯盟(左聯)の五名が国民党政府に殺害される事件が起きた際、魯迅は上海のドイツ書店からケーテの版画作品「犠牲」を買い、左聯の機関誌『北斗』に転載して五名を追悼したのである。黄氏によれば、魯迅が購入したケーテ・コルヴィッツの版画は全部で16幅、そのほとんどはケーテのサインのある原版で、2009年9月にベルリンのケーテ・コルヴィッツ美術館長が魯迅博物館に来訪した際それを鑑定し、ケーテが信任していたドレスデンの印刷社の手によるものだと判明したという(文化中国、http://culture.china.com.cn/zhanlan/2010-03/28/content_19699625.htm )。

ケーテ・コルヴィッツと魯迅との間の橋渡しをしたのはアグネス・スメドレーらしい。彼女は1919年からベルリンに八年住んでいたが、その間1925年にケーテ・コルヴィッツと知り合い、29年に中国に来て上海に居住し、中国の左翼運動に深く入ってゆく。彼女を通じて魯迅はケーテの作品に出会ったと想像される。

現在、アジアでケーテ・コルヴィッツの作品を最も多く所蔵しているのが、沖縄の佐喜眞美術館だ。1931年に魯迅が紹介したケーテの版画「犠牲」も佐喜眞美術館にある。2011年9月、北京の魯迅博物館で、魯迅生誕130周年記念として、佐喜眞美術館所蔵の版画・彫刻など58点を展示する展覧会が開催された。北京魯迅博物館長の孫郁氏は、ケーテの作品をドイツからではなくあえて沖縄から借り受ける理由として、「沖縄は東アジアの近現代史を考える上で重要な場所」だとし、支配者が描く歴史ではなく、常に犠牲を強いられる弱者の怒りと悲しみの記憶、そして未来を信じて立ち上がろうとする精神が沖縄にあるからだ、と語った。(琉球新報、2010年3月8日 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-158856-storytopic-64.html )。孫館長はまた、「魯迅は国家権力の立場ではなく、民衆の視点で表現活動をしていた。佐喜眞美術館にも、国家の歴史記述とは違う民衆の声、表現の声がある。ケーテの出身地ドイツではなく、沖縄から作品を借りることは、東アジアの歴史的記憶を掘り起こし、沖縄・日本・中国の関係性を新しい視点で見直すきっかけになる」とも述べた(同上紙、2010年3月7日 http://ryukyushimpo.jp/variety/storyid-158816-storytopic-6.html )。

ケーテ・コルヴィッツがつなぐ中国と日本そして沖縄。彼女が作品の中に込めた平和への熱意が、東アジアに近年張りつめている固い氷を融かすのに役立つことを心から願う。

「田中上奏文」をめぐる雑感 [東アジア・近代史]

私は日本と中国との友好を心から願っている。そのためには日本帝国主義が過去に犯した大陸侵略の罪業を日本政府と国民が直視し、歴史の事実を真摯に反省したうえで、中国人民に対し公的に謝罪しなければならないと考える。しかし、否、だからこそあえて言わねばならないことがある。「田中上奏文」なる怪文書のことだ。

この文書は、田中義一首相が1927年天皇に上奏したとされるもので、とりわけ「中国を征服しようとすれば、まず満蒙を征服せねばならない。世界を征服しようとすれば、まず中国を征服しなければならない」というスキャンダラスな内容で知られている。がしかし、この「田中上奏文」なるものを額面通りに受け取ることは不可能なこと(すなわち田中首相がこの文書を天皇に上奏したという伝説は信じるに足る根拠がないこと、その意味でこの文書は「偽書」とみなされること)は、政治的立場を問わず、ほぼ全ての日本の歴史研究者に共有されている見解であり、この見解は欧米の歴史学界ではもちろん、中国の歴史学界でも現在広く受け入れられている。むろん、この文書の作成・流通過程についてはさまざまな議論があり、その内容に以後の日本の大陸侵略政策と符合する点が多々あることもあわせて、今後も綿密な研究が必要である。しかし、この文書が田中首相の真正の上奏文であると信じる根拠は何もない。

ところがこの文書について、中国の官製メディアは今なおこれを額面どおり、田中首相が天皇に「世界征服」のための「中国征服」を進言した本物の上奏文として、扱っている。その真正性を疑問視しようものなら、お前は日本帝国主義の弁解者か、と決めつけるような口ぶりすら見受けられる。

確かにこの文書は「発見」された当時、日本帝国主義の「世界征服」・「中国征服」という野望を暴露するものとみなされ、中国(とりわけ「党」)が抗日戦争を遂行するうえで、結果的に重要な宣伝効果をもった。抗日戦争の勝利を権力の正当性根拠とする「党」にとって、この「上奏文」の真贋が政治的に「敏感」な問題であることは確かだ。だがこの「上奏文」が本物だと強弁し続けることは、日本帝国主義の本質についての認識を歪め、その歴史的解明を妨げるばかりか、日本の右翼歴史修正主義者につけこむ隙を与えることにもなる。

先日、中国の若い真面目な歴史学徒との雑談の中でこのことが話題になったが、科学的・客観的な歴史研究と、政治権力の正当性を弁証するための「愛国主義」的歴史叙述とが乖離している現状に話が及んだ。政治的立場の如何を問わず、過去の真実を探求することにいささかでも臆病になった瞬間から、歴史叙述は政治的プロパガンダへと転落しはじめる。それは日本でも中国でも同じことだ。歴史研究者のはしくれとして、深く自戒せねばならない。

九・一八歴史博物館(瀋陽) [東アジア・近代史]

遼寧省瀋陽で会議に参加した帰りに昨日、「九・一八歴史博物館」に行ってきました。7年ぶり、二度目の訪問です。
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1931年9月18日、奉天(現・瀋陽)郊外の柳条湖付近で、南満洲鉄道(満鉄)の線路が突然爆破された「柳条湖事件」。日本の関東軍はこれを中国軍の仕業としましたが、しかし実は関東軍参謀の板垣征四郎・石原莞爾らの計画で関東軍自らが爆薬を爆発させたもので、中国軍に攻撃を仕掛ける口実づくりのために練られた自作自演の謀略でした(なお、当時の日本のマスコミは関東軍の発表をそのまま報道したため、ほとんどの日本人は敗戦後に真実が判明するまで、柳条湖事件は中国側の仕業だと信じていた)。

この謀略事件をきっかけに関東軍は中国軍を奇襲、たちまち満鉄線沿線を武力制圧しました。こうした関東軍の暴走に対し、当初日本政府は不拡大方針をとったものの、陸軍中央は関東軍を支持して戦線を拡大、32年2月までに満洲(中国東北部)の主要都市が日本軍によって占拠され、3月に傀儡国家「満洲国」が成立しました。これがいわゆる満洲事変で、中国では九一八事変と呼ばれます。
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満洲事変から60年目の1991年9月18日、事変の発端である柳条湖の地に作られたのがこの九・一八歴史博物館です。館内には、日本の満洲侵略および中国民衆の抵抗に関するさまざまな資料が集められ、展示されています。

館内の展示は、日清戦争および日露戦争に始まる日本の満洲侵略の経過から、張作霖爆殺事件や満洲事変における日本軍の蛮行、満洲国成立後の東北抗日聯軍(抗日ゲリラ)の活動と、日本側による残虐な討伐の実態、繰り返される虐殺事件、731部隊の蛮行、中国全土における抗日戦争、ソ連の東北侵攻と満洲国崩壊、日本の降伏と東京裁判および中国での戦犯裁判、撫順戦犯管理所における日本戦犯の反省と釈放、72年の日中国交正常化と日中友好の推進、小泉内閣以後の日本右翼の台頭、歴史修正主義に対抗する日本の平和運動、という順序で陳列されています。日本による侵略の歴史だけでなく、戦後における日中友好の努力や平和運動についても触れられおり、決して「反日」が目的ではない点に注意すべきでしょう。多くの展示には日本語の説明文が付いています。

特に目が釘付けになったのは、遼寧省撫順近郊の平頂山で起きた日本軍による大量民衆虐殺事件(1932年9月16日)の遺骨で、戦後発掘されたうち十数体がここに展示されており、頭蓋骨にうがたれた銃痕が目に焼き付けられました(なお同事件の八百体以上の遺骨は、現地に建てられた撫順平頂山惨案紀念館に、発掘されたそのままの状態で展示されている)。また、奉天憲兵隊本部跡の地下から1998年に発掘された、抗日戦士とみられる足枷で繋がれた男女一対の遺骨もまた、無言で何かを語りかけているような気がしました。

参観に同行した遼寧師範大学の先生は次のように話されました。中国東北部のほぼ全ての人は家族や親戚が何らかの形で日本侵略の犠牲になっていること、現代の日本人に対してどんなに親しみを感じていても過去の侵略で受けた傷はいまだ癒えていないこと、歴史をはっきりと認識し反省することが東アジアの友好の前提条件だということ、だからこそ多くの日本の方々がこの博物館に足を運び過去の歴史について、中国の人びとの心情について考えていただきたいこと、などなど。

中国東北部は日本語学習が盛んで、多くの人びとが留学や仕事で渡日しており、日本に親しみをもっている人が多いのは確かです。しかしその一方で、毎年9月18日には中国東北の各都市とりわけ瀋陽で警笛が鳴り響きます。そこには中国東北の人びとの複雑な感情が込められているのでしょう。
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国連人種差別撤廃委員会の勧告と慰安婦問題 [東アジア・近代史]

国連の人種差別撤廃委員会が29日、人種差別撤廃条約の日本における順守状況をめぐって最終見解を発表し、差別問題の対処について日本政府に勧告を行った。このニュースは日本の各メディアで報じられているが、しかしその報じ方に私は疑問がある。

最終見解の原文を見るとわかるように、日本政府に対する同委の勧告は多方面の問題にわたっている。ヘイトスピーチ・ヘイトクライム問題のほか、移住労働者問題、外国人年金問題、人身売買、慰安婦問題、朝鮮学校問題、アイヌ民族問題、琉球・沖縄問題、等々がそこに含まれている。

だが日本の主流メディアはおしなべて、「ヘイトスピーチ」規制の勧告に的を絞って報じている。例えばNHKの報道(「国連委 ヘイトスピーチ規制を勧告」8/30)が代表的なものだろう。『朝日新聞』『毎日新聞』のWEB版も同様で、『東京新聞』のWEB版にいたってはニュースの扱い自体がきわめて小さい。同委の勧告は「ヘイトスピーチ」のほか多岐に渡ることは前述のとおりだが、ここでは特に慰安婦問題に絞ってみてゆこう。

『産経新聞』『読売新聞』など右派・保守メディアが、ヘイトスピーチ以上に慰安婦問題に焦点を当てているのは一見意外なようだが、この問題に対する右派・保守層の注視を物語っている(「『慰安婦の人権侵害調査を』国連人種差別撤廃委 ヘイトスピーチ捜査も要請」『産経』8/29)。むしろ不思議なのは『朝日』の記事だ。慰安婦報道について右派メディアから総攻撃を受けている『朝日』にとって、国連人種差別撤廃委の勧告は追い風のはずだろう。しかし『朝日』は、慰安婦問題をめぐる人種差別撤廃委の勧告について断片的にわずかに触れているにすぎず、その内容は『産経』と比べてもはるかに貧弱なのだ(「ヘイトスピーチ『法規制を』 国連委が日本に改善勧告」『朝日』8/30)。

慰安婦問題について国連の人種差別撤廃委の勧告は、日本の民間からの寄付による「償い金」で済まそうとした「アジア女性基金」に触れつつ、ほとんどの元慰安婦は謝罪も賠償も受けておらず、彼女たちの人権侵害はいまなお続いているとして、日本政府に対し、慰安婦問題を調査し責任者を処罰すること、元慰安婦とその家族に対する真摯な謝罪と十分な賠償を行うこと、慰安婦問題について中傷・否定しようとするあらゆる試みを非難すること、などを求めている。

不思議なことに、慰安婦問題をめぐるこうした国際社会の動きを『朝日』は十分に取り上げようとしない。その一方で『朝日』は最近、慰安婦問題にかんする高橋源一郎氏の時評を載せ、慰安婦を「売春婦」だとすることも、慰安婦の人権侵害に対し賠償を求めることも、どちらも「性急に結論を出」しすぎだ、「もっと謙虚になるべき」だ、という奇妙な「中立的」(?)見解を垂れ流している(拙ブログ記事「高橋源一郎氏の『慰安婦』論」を参照)。

そもそも、旧日本軍の慰安婦制度は戦時性奴隷制であり、日本政府は元慰安婦と遺族に謝罪と賠償をせねばならないというのは、今や国際社会に共有されている常識だ。例えば国連人権高等弁務官ピレイ氏は、戦時性奴隷制(wartime sexual slavery)の被害者に有効な賠償をしてこなかった日本政府に深い懸念を示し、人権が回復されず賠償も受けないまま元慰安婦が亡くなってゆくのは心が痛むと述べている。また同氏は、日本の一部言論が慰安婦を「売春婦」と公言していることに触れ、日本政府の無為を批判している(2014年8月6日付国連ニュース)。こうした見方からほど遠い高橋氏の「中立的」見解は、アウシュビッツのガス室があったかなかったかについての「中立的」見解と同じく、まともな歴史認識を持つ世界の人びとの到底受け入れられないものだ。にもかかわらず、『朝日』の〈進歩的〉読者の多くは、高橋氏の見解に違和感をもたないようにみえる。

慰安婦問題の真の論点は、この性奴隷制に対して日本政府は国家賠償と公的な謝罪を行い、早急に元慰安婦の方々の人権回復に努めなければならないという、国際社会の常識的見解と、賠償請求は1965年の日韓基本条約で解決済みであるとする日本政府の立場との、根本的対立にある。『読売』『産経』ははっきり後者の側に立っている。一方『朝日』は?今月5・6日に掲載された「慰安婦問題を考える」という長大な検証記事を丹念に読めば、『朝日』がこの根本問題に何ら定見をもっていないことが判明する。

そうした『朝日』のあいまいな立場は、失敗に終わった「アジア女性基金」に対する無反省から来ているのではないかと思う(「アジア女性基金に市民団体反発」『朝日』8/6)。民間寄付の「償い金」でお茶を濁そうとした「アジア女性基金」が問題をこじらせた元凶であることを反省することなしに、慰安婦問題を解決する道筋は見渡せない。その唯一の道筋が日本政府による公的な賠償・謝罪にあることは、国連の人種差別撤廃委の勧告するとおりだ。『朝日』がこの勧告をきちんと報じようとしない背後には、旧「アジア女性基金」と何か妙なしがらみでもあるのかと勘繰りたくなる。この点は『毎日』も同様だ(『毎日』社説、8/7

何度も繰り返すように、慰安婦問題の解決に日本政府の公的な謝罪と賠償が不可欠だというのは、国際社会の常識的な見方に過ぎない。だが日本で〈進歩的〉と目されるメディアすらその見解に立てないまま、迷走を繰り返している。高橋氏の妄論が広く歓迎される日本社会の世論の現状は、外から見ると実に奇怪だ。七十数年前、満洲事変の勃発後に関東軍の妄動を支持する方向へ世論を誘導し、日本の国際的孤立と破滅をもたらした愚を、日本のメディアはどこまで真摯に反省しているのだろうか?

高橋源一郎氏の「慰安婦」論 [東アジア・近代史]

高橋源一郎氏が、『朝日新聞』の論壇時評に慰安婦問題について書いている(「戦争と慰安婦 想像する、遠く及ばなくとも」 )。この文章の中で私が最も違和感を覚えたのは、高橋氏が古山高麗雄氏の文章を(おそらく共感をこめて)引き、それに論評らしきものを加えている次の箇所だ。

------------------------(引用はじめ)
 戦後、「慰安婦問題」が大きく取り上げられるようになって、古山は「セミの追憶」という短編を書いた。「正義の告発」を始めた慰安婦たちの報道を前に、その「正しさ」を認めながら、古山は戸惑いを隠せない。それは、ほんとうに「彼女たち自身のことば」だったのだろうか。そして、かつて、戦場で出会った、慰安婦の顔を思い浮かべる。

 「彼女は……生きているとしたら……どんなことを考えているのだろうか。彼女たちの被害を償えと叫ぶ正義の団体に対しては、どのように思っているのだろうか。そんな、わかりようもないことを、ときに、ふと想像してみる。そして、そのたびに、とてもとても想像の及ばぬことだと、思うのである」

 戦後70年近くたち、「先の戦争」の経験者たちの大半が退場して、いま、論議するのは、経験なきものたちばかりだ。

 紙の資料に頼りながら、そこで発される、「単なる売春婦」「殺されたといってもたかだか数千で、大虐殺とはいえない」といった種類のことばに、わたしは強い違和を感じてきた。「資料」の中では単なる数に過ぎないが、一人一人がまったく異なった運命を持った個人である「当事者」が「そこ」にはいたのだ。

 だが、その「当事者」のことが、もっとも近くにいて、誰よりも豊かな感受性を持った人間にとってすら「想像の及ばぬこと」だとしたら、そこから遠く離れたわたしたちは、もっと謙虚になるべきではないのだろうか。性急に結論を出す前に、わたしは目を閉じ、静かに、遥(はる)か遠く、ことばを持てなかった人々の内奥のことばを想像してみたいと思うのである。それが仮に不可能なことだとしても。
---------------------------------(引用おわり)

高橋氏のことばは、一見中立的で良識的のようにみえる。慰安婦は「売春婦」だとする極右の主張も、「彼女たちの被害を償えと叫ぶ正義の団体」の見解も、どちらも「性急に結論を出」しすぎだ、と氏は言いたいらしい。実際、高橋氏はツイッターで次のように発言している。「『慰安婦問題』でも、ある人たちは、『慰安婦』は『強制連行』され『性的な奴隷』にされた、と主張し、またある人たちは、『いや、あれは単なる娼婦で、自発的に志願して、かの地にわたり、大儲けしたのだ』と言います。けれど、朴裕河さんのいうように、どちらの場合もあった、というべきでしょう。」

だが、個々の慰安婦の人びとは「売春婦」だったのか、「性奴隷」だったのか、はたまた「どちらの場合もあった」のか、という問題の立て方ほど馬鹿げたものはない。個々の慰安婦の人びとの生きざまが多様なのは、言うまでもなく当然だからだ。慰安婦問題というのはあくまでも「制度」の問題である。この観点が高橋氏にはない。

旧日本帝国軍隊の慰安婦制度が一般に強制的な戦時性奴隷制であったことは、今や国際的に共有されている常識だ(例えば、今年8月6日付の国連ニュースJapan’s stance on ‘comfort women’ issue violates victims’ rights – UN official)。そして、慰安婦制度をめぐる現在の真の論点は、この性奴隷制に対して日本政府は国家賠償と公的な謝罪を行い、早急に元慰安婦の方々の人権回復に努めなければならないという主張と、賠償請求は1965年の日韓基本条約で解決済みであるとする日本政府の立場との、根本的対立にある。そして、国際社会の大勢が前者の主張に立って日本政府を批判していることは、すぐ上に挙げた8月6日付国連ニュースにある国連人権高等弁務官の声明や、29日に国連人種差別撤廃委員会が発表した日本政府に対する勧告(勧告の英語原文はここ)を一読すれば明らかだ。

「強制連行」という概念をこねくり回してあたかもその「有無」や「程度」に論点があるかのようにみせかけたり、個々の慰安婦の多様な生きざまを文学的表現に乗せることで性奴隷制の実態をあいまいにしたりするような言説が、最近よくみられる。こうした言説は、慰安婦制度をめぐる現在の真の論点を逸らすことで、元慰安婦の方々の人権の回復を遅らせることにつながっており、その意味で悪質なものといえる。

『読売新聞』や『産経新聞』のような保守・右派メディアが、慰安婦制度をめぐる日本政府の立場を支持するために、さまざまな詭弁を弄するのは異とするに足りない。彼らは慰安婦制度をめぐる真の論点をよく知っており、そこに攻め込まれないよう自分たちの陣地をあらかじめ広げておこうとするのだ。だが、『朝日新聞』のような〈進歩的〉とされてきたメディアが、中立を装いつつ問題の論点を逸らすような言論を垂れ流し続けることは、『読売』『産経』に劣らず害悪が大きいともいえる。

『朝日新聞』は8月5・6日、「慰安婦問題を考える」という長大な検証記事を二日間にわたり掲載した。だがそれは、「強制連行」の字義解釈をめぐる右派メディアが設定した土俵内での、弱々しい自己弁護に過ぎず、真の論点――慰安婦制度という戦時性奴隷制に対して日本国家はどのように責任(国家賠償と謝罪)を負うべきか、という問題について何ら定見がみられない。河野談話を受けて、民間からの寄付による「償い金」を元慰安婦に支給して済まそうとした「アジア女性基金」が、どれほど問題を混乱させたかについての深い省察もない。こうした『朝日新聞』の自己「点検」なるものが、かえって右派メディアを勢いづかせる結果になったのは、必然といえる。

『朝日新聞』や岩波『世界』など進歩的(?)メディアやそこに寄稿する「文化人」が、中立(?)という「良識」を装うたびに、旧日本帝国の国家犯罪に対する責任の追及という慰安婦問題の本質は逸らされてゆく。そうした状況に、日本帝国の戦争責任を解除したい右派の人びとは快哉しつつ、いっそう攻撃の手を緩めない。日本の言論状況に危機をもたらしている元凶の一つが、〈進歩派〉とみなされてきたメディアや「文化人」の頽廃にあることは、間違いない。
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