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ロバの佇む街角 [中国東北・雑記]

近郊の農村から農作物を売りに来たロバ車。長春の市街地で今もしばしば見られる光景だ。農村から長春にやってくる行商の主流はバイクに荷台を取り付けたオート三輪だが、一見能率が低そうなロバ車もまだまだ現役というのは、コスト面で何か理由があるのかもしれない。
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ちなみに、向かいに見える緑地は長春動植物公園。満洲国時代の1938年、満洲最初の動植物園としてオープンした「新京動植物園」がその由来だ。この動植物園も時代の荒波に翻弄され、悲劇を含むさまざまな歴史を負っている。その物語についてもいつか改めて紹介したい。

対馬丸犠牲者に対する天皇の慰霊と「海鳴りの像」――「国家慰霊」をめぐって [沖縄・琉球]

今年6月、明仁氏と美智子氏が那覇の対馬丸記念館と、記念館裏の旭ヶ丘公園にある対馬丸遭難学童を慰霊する「小桜の塔」を訪れたことは、以前報道で大きく取り上げられた。これについて、作家の池澤夏樹氏が『朝日新聞』のコラムで、「徹底して弱者の傍らに身を置く」天皇夫妻の「自覚的で明快な思想の表現」だと称賛したことについては、本ブログの記事「池澤夏樹氏の天皇論」で以前批判的に取り上げた。

ところで旭ヶ丘公園内には、「小桜の塔」以外にも、戦時中に対馬丸以外の25隻の船舶に疎開や徴用などで乗船し犠牲となった沖縄県民1927人を慰霊する「海鳴りの像」がある。いずれも沖縄戦と関係の深い犠牲者の慰霊碑だ。沖縄の「戦時遭難船舶遺族会」は6月、天皇夫妻の来県に合わせて、「海鳴りの像」への訪問も要請した(琉球新報、2014年6月18日)。が、天皇夫妻は「小桜の塔」だけを訪れ、同じ公園内にある「海鳴りの像」はスルーした。この差別はいったいどこから来たのか?

この問題について、澤藤統一郎氏のブログ「澤藤統一郎の憲法日記」の記事が的確に触れているので、下に一部引用し紹介したい。そこには戦争と「国家慰霊」をめぐる根本問題があり、「靖国」問題とも深いところで結びついていることがわかるだろう。

(引用はじめ)
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「戦時遭難船舶遺族会は、『小桜の塔』と同じ公園内にある『海鳴りの像』への(夫妻の)訪問をあらかじめ要請していたが、断られた。海上で攻撃を受けた船舶は、対馬丸以外に25隻あり、犠牲音数は約2千人といわれている。なぜこのような違いが生じるのだろうか。」

『小桜の塔』は対馬丸の「学童慰霊塔」として知られる。しかし、疎開船犠牲は対馬丸(1482名)に限らない。琉球新報は、「25隻の船舶に乗船した1900人余が犠牲となった。遺族会は1987年、那覇市の旭ケ丘公園に海鳴りの像を建てた。対馬丸の学童慰霊塔『小桜の塔』も同公園にある」「太平洋戦争中に船舶が攻撃を受け、家族を失った遺族でつくる『戦時遭難船舶遺族会』は、(6月)26、27両日に天皇と皇后両陛下が対馬丸犠牲者の慰霊のため来県されるのに合わせ、犠牲者が祭られた『海鳴りの像』への訪問を要請する」「対馬丸記念会の高良政勝理事長は『海鳴りの像へも訪問してほしい。犠牲になったのは対馬丸だけじゃない』と話した」と報じている。

しかし、天皇と皇后は、地元の要請にもかかわらず、対馬丸関係だけを訪問して、『海鳴りの像』への訪問はしなかった。その差別はどこから出て来るのか。こう問いかけて、村椿嘉信牧師は次のようにいう。

「対馬丸の学童の疎開は当時の日本政府の決定に基づくものであるとして、沖縄県遺族連合会は、対馬丸の疎開学童に対し授護法(「傷病者戦没者遺族等授護法」)の適用を要請し続けてきたが、実現しなかった。しかし1962年に遺族への見舞金が支給され、1966年に対馬丸学童死没者全員が靖国神社に合祀された。1972年には勲八等勲記勲章が授与された。つまり天皇と皇后は、戦争で亡くなったすべての学童を追悼しようとしたのではなく、天皇制国家のために戦場に送り出され、犠牲となり、靖国神社に祀られている戦没者のためにだけ、慰霊行為を行ったのである。」
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(引用おわり)
タグ:沖縄 天皇制

高橋源一郎氏の「慰安婦」論 [東アジア・近代史]

高橋源一郎氏が、『朝日新聞』の論壇時評に慰安婦問題について書いている(「戦争と慰安婦 想像する、遠く及ばなくとも」 )。この文章の中で私が最も違和感を覚えたのは、高橋氏が古山高麗雄氏の文章を(おそらく共感をこめて)引き、それに論評らしきものを加えている次の箇所だ。

------------------------(引用はじめ)
 戦後、「慰安婦問題」が大きく取り上げられるようになって、古山は「セミの追憶」という短編を書いた。「正義の告発」を始めた慰安婦たちの報道を前に、その「正しさ」を認めながら、古山は戸惑いを隠せない。それは、ほんとうに「彼女たち自身のことば」だったのだろうか。そして、かつて、戦場で出会った、慰安婦の顔を思い浮かべる。

 「彼女は……生きているとしたら……どんなことを考えているのだろうか。彼女たちの被害を償えと叫ぶ正義の団体に対しては、どのように思っているのだろうか。そんな、わかりようもないことを、ときに、ふと想像してみる。そして、そのたびに、とてもとても想像の及ばぬことだと、思うのである」

 戦後70年近くたち、「先の戦争」の経験者たちの大半が退場して、いま、論議するのは、経験なきものたちばかりだ。

 紙の資料に頼りながら、そこで発される、「単なる売春婦」「殺されたといってもたかだか数千で、大虐殺とはいえない」といった種類のことばに、わたしは強い違和を感じてきた。「資料」の中では単なる数に過ぎないが、一人一人がまったく異なった運命を持った個人である「当事者」が「そこ」にはいたのだ。

 だが、その「当事者」のことが、もっとも近くにいて、誰よりも豊かな感受性を持った人間にとってすら「想像の及ばぬこと」だとしたら、そこから遠く離れたわたしたちは、もっと謙虚になるべきではないのだろうか。性急に結論を出す前に、わたしは目を閉じ、静かに、遥(はる)か遠く、ことばを持てなかった人々の内奥のことばを想像してみたいと思うのである。それが仮に不可能なことだとしても。
---------------------------------(引用おわり)

高橋氏のことばは、一見中立的で良識的のようにみえる。慰安婦は「売春婦」だとする極右の主張も、「彼女たちの被害を償えと叫ぶ正義の団体」の見解も、どちらも「性急に結論を出」しすぎだ、と氏は言いたいらしい。実際、高橋氏はツイッターで次のように発言している。「『慰安婦問題』でも、ある人たちは、『慰安婦』は『強制連行』され『性的な奴隷』にされた、と主張し、またある人たちは、『いや、あれは単なる娼婦で、自発的に志願して、かの地にわたり、大儲けしたのだ』と言います。けれど、朴裕河さんのいうように、どちらの場合もあった、というべきでしょう。」

だが、個々の慰安婦の人びとは「売春婦」だったのか、「性奴隷」だったのか、はたまた「どちらの場合もあった」のか、という問題の立て方ほど馬鹿げたものはない。個々の慰安婦の人びとの生きざまが多様なのは、言うまでもなく当然だからだ。慰安婦問題というのはあくまでも「制度」の問題である。この観点が高橋氏にはない。

旧日本帝国軍隊の慰安婦制度が一般に強制的な戦時性奴隷制であったことは、今や国際的に共有されている常識だ(例えば、今年8月6日付の国連ニュースJapan’s stance on ‘comfort women’ issue violates victims’ rights – UN official)。そして、慰安婦制度をめぐる現在の真の論点は、この性奴隷制に対して日本政府は国家賠償と公的な謝罪を行い、早急に元慰安婦の方々の人権回復に努めなければならないという主張と、賠償請求は1965年の日韓基本条約で解決済みであるとする日本政府の立場との、根本的対立にある。そして、国際社会の大勢が前者の主張に立って日本政府を批判していることは、すぐ上に挙げた8月6日付国連ニュースにある国連人権高等弁務官の声明や、29日に国連人種差別撤廃委員会が発表した日本政府に対する勧告(勧告の英語原文はここ)を一読すれば明らかだ。

「強制連行」という概念をこねくり回してあたかもその「有無」や「程度」に論点があるかのようにみせかけたり、個々の慰安婦の多様な生きざまを文学的表現に乗せることで性奴隷制の実態をあいまいにしたりするような言説が、最近よくみられる。こうした言説は、慰安婦制度をめぐる現在の真の論点を逸らすことで、元慰安婦の方々の人権の回復を遅らせることにつながっており、その意味で悪質なものといえる。

『読売新聞』や『産経新聞』のような保守・右派メディアが、慰安婦制度をめぐる日本政府の立場を支持するために、さまざまな詭弁を弄するのは異とするに足りない。彼らは慰安婦制度をめぐる真の論点をよく知っており、そこに攻め込まれないよう自分たちの陣地をあらかじめ広げておこうとするのだ。だが、『朝日新聞』のような〈進歩的〉とされてきたメディアが、中立を装いつつ問題の論点を逸らすような言論を垂れ流し続けることは、『読売』『産経』に劣らず害悪が大きいともいえる。

『朝日新聞』は8月5・6日、「慰安婦問題を考える」という長大な検証記事を二日間にわたり掲載した。だがそれは、「強制連行」の字義解釈をめぐる右派メディアが設定した土俵内での、弱々しい自己弁護に過ぎず、真の論点――慰安婦制度という戦時性奴隷制に対して日本国家はどのように責任(国家賠償と謝罪)を負うべきか、という問題について何ら定見がみられない。河野談話を受けて、民間からの寄付による「償い金」を元慰安婦に支給して済まそうとした「アジア女性基金」が、どれほど問題を混乱させたかについての深い省察もない。こうした『朝日新聞』の自己「点検」なるものが、かえって右派メディアを勢いづかせる結果になったのは、必然といえる。

『朝日新聞』や岩波『世界』など進歩的(?)メディアやそこに寄稿する「文化人」が、中立(?)という「良識」を装うたびに、旧日本帝国の国家犯罪に対する責任の追及という慰安婦問題の本質は逸らされてゆく。そうした状況に、日本帝国の戦争責任を解除したい右派の人びとは快哉しつつ、いっそう攻撃の手を緩めない。日本の言論状況に危機をもたらしている元凶の一つが、〈進歩派〉とみなされてきたメディアや「文化人」の頽廃にあることは、間違いない。

池澤夏樹氏の天皇論 [日本・現代社会]

8月5日の朝日新聞夕刊で、池澤夏樹氏の「終わりと始まり」というコラムが目にとまった。天皇をテーマとするこの文章を何気なく読み進めるにつれて、まずとまどいを感じ、次に違和感を覚え、しまいに深くため息をついた。下に感想を記しておく。

まず、池澤氏の次のようなくだり:

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::(引用はじめ)
 天皇の責務は第一に神道の祭祀(さいし)であり、その次が和歌などの文化の伝承だった。国家の統治ではない。だからこそ、権力闘争の場から微妙な距離をおいて、百代を超える皇統が維持できたのだろう。後鳥羽院はまず超一級の詩人で、次いで二級の君主だった(それでも天皇にしては政争過剰)。こんな王が他の国にいたか。

 千年を超える祭祀と文化の保持の後に維新が起こり、ヨーロッパ近代が生んだ君主制が接ぎ木される。島国は島のままではいられなくなった。グローバルな戦争の果てに、昭和天皇は史上初めて敗者として異民族の元帥の前に立たされた。この人について大岡昇平が「おいたわしい」と言ったのはそういうことではなかったか。一人の人間としての昭和天皇の生涯を見れば、大岡の言葉はうなずける。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::(引用おわり)

歴史上の天皇(ミカドの朝廷)の役割を「神道の祭祀」と「文化の伝承」に限定し、政治権力から切り離す見方は、よくある天皇観だ。が、政治権力(鎌倉幕府以後の武士政権)がミカドの朝廷を保護した理由として、血統カリスマの保持者であるミカドの伝統的権威を利用することで、新興の政治権力にすぎない自分(たとえば織田信長なり徳川家康なり)が天下に号令することを正当化しようとする意図があったことは、見逃せない。政治権力を外から権威づけてその正当性を基礎づけるミカド・天皇の政治的機能は、現代にいたるまで一貫しているのだ。

明治以後、天皇は単なる伝統的権威にとどまらず、統治権の総攬者としてさまざまな大権をもち、とくに陸海軍の統帥権を唯一人有する大元帥となった。戦争遂行の最高責任者である天皇が、敗戦によってその政治責任を問われるのは当然のことだ。しかし池澤氏は、天皇が政治上の責任者として「史上初めて敗者として異民族の元帥の前に立たされた」ことについて、「おいたわしい」(大岡昇平)という感情表現をそのまま首肯している。裕仁に対する池澤のこうしたナイーヴな情緒は、天皇を本来宗教的・文化的な存在であると考える彼の一面的な見方(それは和辻哲郎・津田左右吉をはじめ戦後の保守的な天皇制擁護論者におおむね共有されている)に基づいているようだ。

こうした池澤氏の天皇観の問題点は、現代天皇制に対する氏の次のような感想を読めば、いっそう明らかになる。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::(引用はじめ)
 七月二十二日、今上と皇后の両陛下は宮城県登米市にある国立のハンセン病療養所「東北新生園」を訪れられた。これで全国に十四カ所ある療養所すべての元患者に会われたことになる。六月には沖縄に行って、沈没した学童疎開船「対馬丸」の記念館を訪れられた。戦争で死んだ子供たちを弔い、今も戦争の荷を負う沖縄の人々の声を聞かれた。昨年の十月には水俣に行って患者たちに会われている。東日本大震災については直後から何度となく避難所を訪問して被災した人たちを慰問された。

 これはどういうことだろう。我々は、史上かつて例のない新しい天皇の姿を見ているのではないだろうか。

 日本国憲法のもとで天皇にはいかなる政治権力もない。時の政府の政策についてコメントしない。折に触れての短い「お言葉」以外には思いを公言されることはない。行政の担当者に鋭い質問を発しても、形ばかりのぬるい回答への感想は口にされない。

 つまり、天皇は言論という道具を奪われている。しかしこの国に生きる一人として、思うところは多々あるだろう。その思いを言論で表すことができないが行動で表すことはできる。国民はそれを読み解くことができる。

 八十歳の今上と七十九歳の皇后が頻繁に、熱心に、日本国中を走り回っておられる。訪れる先の選択にはいかなる原理があるか?

 みな弱者なのだ。

 責任なきままに不幸な人生を強いられた者たち。何もわからないうちに船に乗せられて見知らぬ内地に運ばれる途中の海で溺れて死んだ八百名近い子供たち、日々の糧として魚を食べていて辛い病気になった漁民、津波に襲われて家族と住居を失ったまま支援も薄い被災者。
(中略)

 今上と皇后は、自分たちは日本国憲法が決める範囲内で、徹底して弱者の傍らに身を置く、と行動を通じて表明しておられる。お二人に実権はない。いかなる行政的な指示も出されない。もちろん病気が治るわけでもない。

 しかしこれほど自覚的で明快な思想の表現者である天皇をこの国の民が戴(いただ)いたことはなかった。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::(引用おわり)

「訪れられた」、「会われた」、「聞かれた」「慰問された」……、これらの言葉の主語はいずれも「今上と皇后の両陛下」だ。池澤氏がいつから皇室についてこのような尊敬語で記すようになったのか、私は知らない。少なくともプロの物書きである以上、氏が意識的にこれらのことばを用いていることは疑いなく、天皇制の伝統的権威に対する氏の承認、さらには尊崇心がここに表されているといってよい。

池澤氏の言うように、明仁氏と美智子氏はこの6月に沖縄を訪問し、那覇市の対馬丸記念館を訪れ、犠牲者を追悼する慰霊碑に供花した(「両陛下、対馬丸遺族らと懇談」時事、6/27)。池澤氏は天皇夫妻の個人的な思いを忖度して、「徹底して弱者の傍らに身を置く」彼らを手放しで称賛している。が、天皇や皇室というのは現代日本において、日本国憲法や皇室典範に定められた国家機関であり、彼らの行為はその公的地位と無関係でありえない。天皇夫妻の個人的善意のいかんにかかわらず、彼らの沖縄訪問は現代天皇制の構造の中で考えなければならないはずだ。

例えば、対馬丸の悲劇と不可分の沖縄戦で、15万以上の沖縄県民の命が天皇制=国体護持のための犠牲にされたことや、戦後裕仁が占領軍宛てに、米国による沖縄の軍事占領の継続を希望する旨のメッセージを送ったことは、天皇制と沖縄とのかかわりを考えるうえで、避けることのできない問題だ。沖縄に住んだことのある池澤氏が、こうした問題を知らないはずがない。にもかかわらず、天皇夫妻の沖縄訪問について、「戦争で死んだ子供たちを弔い、今も戦争の荷を負う沖縄の人々の声を聞かれた」ことを氏がためらいもなく称揚するのは、理解に苦しむ。

ことは沖縄に限らない。全国のハンセン病療養所や、311震災の被災地、水俣、等々を訪問する天皇夫妻の行脚について、「史上かつて例のない新しい天皇の姿」、「日本国憲法が決める範囲内で、徹底して弱者の傍らに身を置く、と行動を通じて表明しておられる」などと賛仰する池澤氏。日本国家統合において現代天皇制がどのような役割を現に果たしつつあるのか、批判的な認識はかけらもない。

「これほど自覚的で明快な思想の表現者である天皇をこの国の民が戴(いただ)いたことはなかった」と断言する池澤氏にとって、「この国の民」とはいったい誰のことだろうか?天皇制の存否の問題はおくとしても、近代天皇制と侵略戦争をめぐる歴史的経緯から、天皇を「戴く」(高く奉げる、奉戴する、ありがたく敬い仕える)ことを拒絶する「民」が数多く存在することを、氏は忘れたのか?あるいは意図的に無視したのか?いずれにせよ、目を覆いたくなる言論の頽廃だ。

(なお、対馬丸犠牲者に対する天皇夫妻の慰霊がはらむ隠された問題については、本ブログ記事「対馬丸犠牲者に対する天皇の慰霊と「海鳴りの像」――「国家慰霊」をめぐって」を参照。)〔追記、2014年8月30日〕
タグ:天皇制

沖縄有事と戦時動員準備 [沖縄・琉球]

『毎日新聞』(8月3日)の報道。尖閣・沖縄有事をにらんだ戦時動員のための準備が水面下で進んでいる。防衛省は津軽海峡フェリー(北海道函館市)と新日本海フェリー(大阪市)の二社と契約を結び、南西諸島有事の際は二社の高速フェリーを借り上げて自衛隊員を戦闘地域に運び、さらに民間船舶の乗組員をも予備自衛官にする方向で検討中だという。

防衛省:有事の隊員輸送、民間船員も戦地に 予備自衛官として、検討 フェリー2隻借り上げ(毎日新聞、8/3)

予備自衛官(軍隊の予備役に相当)は、平時は民間人としてそれぞれの生業に従事するが、有事の際には防衛召集(いわゆる赤紙)に応召せねばならない義務があり、戦争への参加を強いられる。月額手当わずか4千円のこうした予備自衛官は本来、退官した元自衛官から採用されるものだが、2002年からは自衛官経験のない民間人を、教育訓練(一般者50日、技能者10日)などを経て予備自衛官に採用できるようになった(この新制度は現在陸上自衛隊に限られているが、海上自衛隊にも導入する方向だという)。

つい先日、辺野古のキャンプ・シュワブのゲート前で、民間警備会社ALSOKの従業員が官憲と市民の対峙する最前線に立たされているのを見た。民間の労働者が一片の業務命令によって、本人のよく知らないうちに、国家意志の暴力的貫徹の手段としてすでに動員されはじめているのは、恐るべきことだ。日本の企業風土から言って、こうした命令を従業員が拒否するのはたやすくないだろう。

予備自衛官になれば、有事の際には防衛召集に応じる義務があり、戦場に投入されることから逃れられない。それでも船会社から予備自衛官になれと命じられるならば、乗組員が個人として拒否するのは難しいだろう。ことは船員に限られない。すでに小泉内閣の2004年に成立した国民保護法は、有事の際に国民が必要な協力をするよう努力義務を課しているのだ。

誰も殺さない、殺されないためにはどうすればよいのか。一人ひとりがこの問題を本気で考えねばならない時は迫っている。
タグ:沖縄

辺野古、7月30日 [沖縄・琉球]

7月30日、台風12号の接近のために沖縄本島の天気は大荒れ。激しい雨が断続的にたたきつける中、車で辺野古に向った。
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台風接近で当局の海上での作業はひとまず中止となり、海にはつかの間の平穏が戻っていた。
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今回の台風は、海上で連日抗議活動を続けてきた方々にとって、つかの間の休息をもたらす恵みの嵐なのかもしれない。とはいえ作業はやがて再開し、海上での困難な闘いもまた始まるだろう。
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当面の闘いの現場となっているのはキャンプ・シュワブ第1ゲート前。市民の抵抗を排除しながら、国家権力の意志として重機や資材が続々と搬入されてゆく。炎天、突風、驟雨がかわるがわるやってくるので、体力の消耗が激しい。木立すらないこの場所に連日座り込んで非暴力の抵抗を貫く人々には、本当に頭が下がる。
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下の写真。半袖の制服で市民の前に立ち塞がっているのは、民間警備会社ALSOK(綜合警備保障)の従業員たち。おそらく一片の業務命令で突然、何の説明もなく国家権力と民衆とが対峙する最前線に駆り出された労働者たちにすぎないのだろう。彼らは灼熱の日差しを防ぐ準備もなく、露出した肌がひどい火傷状態になっている。その後ろにいる沖縄県警の警察官はもちろんみな長袖だ。右上の小さな人影は市民を監視する公安か。写真の左には例の「殺人鉄板」の一部が見える。
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辺野古「殺人鉄板」 直ちに撤去し人命守れ(琉球新報、7/31社説)

那覇では、沖縄に平和を取り戻すために闘っている方々にお会いして、平和への思いや沖縄の運動のこと、さらにはこれまでの生きざまについてもお話を伺い、大いに力づけられた。これからの闘いは長丁場になるだろう。決してあきらめず、粘り強く、私も小さな声をあげ続けてゆきたい。

長春だより

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