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韓国「統合進歩党」解散命令をめぐる雑感――「秘密保護法」施行の危険 [日本・近代史]

12月19日、韓国の統合進歩党が、国家権力によって強制的に解散させられたというニュース。韓国において「憲政史上初の政党解散審判の結果であり、国家権力が代議制民主政治の核心である政党を強制的になくした政治史的“事変”だ」という(「統合進歩党強制解散…韓国憲法裁判所“8対1”決定」『ハンギョレ新聞』日本語版12/19 )。

隣国でのこうした強権発動について、日本の人は対岸の火事視しがちかもしれない。だが実際は、日本の憲政史上、「秩序に有害」とみなされた政党が国家権力によって強制的に解散させられた例は数多くある。

集会・結社を規制する日本の法令は、国会開設を求めて自由民権運動が高揚していた1880年、これを弾圧するために制定された「集会条例」に遡る。この条例により、政談演説会や政治結社は事前に警察署に届け出て許可を受けねばならなくなった。さらに82年の改正によって、集会や結社に対して内務卿が「治安に妨害ありと認むるとき」はこれを禁止することができ、禁止命令に従わない者や秘密に結社する者は罰金もしくは軽禁錮に処されることになった(第十八条)。

その直後に改正集会条例の適用を受けたのが「東洋社会党」だ。82年に長崎県で結成されたこの政党は、「我党は平等を主義となす」「我党は社会公衆の最大福利を以て目的となす」などの綱領を掲げたが、まもなく「治安に妨害あり」と認められて結社禁止命令を受け、命令に従わなかったという口実で代表者の樽井藤吉が一年の軽禁錮に処された。

89年に天皇睦仁の名で発布された大日本帝国憲法は、「日本臣民」の権利として「言論・著作・印行・集会及結社の自由」を定めたが、しかし「法律の範囲内に於て」という但し書きが付された(第二十九条)。この結社の自由の「範囲」を定めた法律が、集会条例を受け継いだ「集会及政社法」(1890年7月制定)だ。集会・結社の事前認可制は届け出制に緩和されたが、内務大臣の結社禁止権は残された。

さらに、初期労働運動や足尾鉱毒被害民運動など社会運動が高揚した1900年、これらを取り締まる新しい法律として、集会及政社法を強化した「治安警察法」が制定された。その第八条で、「安寧秩序を保持する為必要なる場合」に内務大臣は結社を禁止できるとした。
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JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020436000(第1・5画像)、御署名原本・明治三十三年・法律第三十六号・治安警察法制定集会及政社法廃止(国立公文書館)

この条項が最初に適用されたのが、「社会民主党」だ。人類同胞、軍備の全廃、階級制度の全廃、政治的権利の平等、などを綱領に掲げて1901年5月に片山潜・木下尚江・幸徳秋水・安部磯雄らの結成した社会民主党は、結成から二日後「安寧秩序に妨害あり」とみなされて内務大臣により結社禁止命令が出された。それを受けて翌月、普通選挙と社会・労働政策という穏健な綱領で出発した「社会平民党」も即日禁止された。

日露戦後の1906年2月、「国法の範囲内に於て社会主義を主張す」ることを掲げて堺利彦らが結成した「日本社会党」は、日本ではじめて持続的に活動できた社会主義政党だが、結成から一年後の07年2月、「安寧秩序を保持する為」治安警察法第八条により結社禁止。さらに同年6月、「憲法の範囲内に於て社会主義を主張し労働者の当然享有すべき権利の拡張を計るを以て目的とす」るとした片山潜らの「日本社会平民党」も、わずか二日後に禁止された。

1910年の大逆事件によって長い「冬の時代」に入った日本の社会運動は、第一次大戦後にふたたび高揚し、20年12月、各種の社会主義者・アナーキストの大同団結組織として「日本社会主義同盟」が結成されたが、これも半年後に治安警察法第八条によって結社禁止された。

普通選挙法と同時に1925年制定された「治安維持法」は、「国体の変革」「私有財産制度の否認」を目的とする結社の組織・加入・支援について、厳罰をもって禁止した。この新法によって政治運動はさらに大きな制約をこうむったが、従来の治安警察法もあいかわらず威力を発揮しつづけている。1925年の12月に浅沼稲次郎を書記長として創設された「農民労働党」は治安警察法により即日禁止された。翌年結成された無産政党「労働農民党」は、28年2月に普通選挙制下の最初の総選挙で山本宣治らを当選させたが、4月に同法によって結社禁止に処せられている。

このように旧憲法下では、「結社の自由」が保障されていたにもかかわらず、政党がくりかえし結社禁止の憂き目にあわされてきた。それは、旧憲法の「結社の自由」なるものが「法律の範囲内」という留保のもとでのみ認められていたにすぎないからだ。

治安警察法や治安維持法など日本の憲政を形骸化させた悪法は、1945年8月の日本の敗戦後もなおしばらく生き続け、9月には治安維持法違反で投獄されていた三木清が獄死している。その後GHQの指令によって10月に治安維持法、11月に治安警察法がようやく廃止された。これらの法律の廃止が日本国民みずからの手によってではなく、占領軍の手でなされたことは記憶しておいてよい。

1947年施行の現行「日本国憲法」の第二十一条では、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」とされ、人権を制約する法律の留保は排除された。その後52年に制定された「破壊活動防止法」(破防法)で、「暴力主義的破壊活動」を行った団体に対し公安審査委員会が解散の指定ができると定められた。が、破防法の団体活動規制処分の規定が適用された事例は今のところない(オウム真理教に対して適用が検討されたものの、結局見送られた)。現憲法による歯止めが効いているのだ。

だが、自民党が2012年に決定した「日本国憲法改正草案」では、憲法第二十一条に「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」という制約を付けている。もしこうした「改正」がなされれば、先にみたような旧憲法下の圧制が再現されうる危険がある。

すでに安倍政権下では、昨年末に特定秘密保護法が制定され、今月から施行されている。防衛省では従来の「防衛秘密」4万5千件が「特定秘密」に自動移行したとみられ、外務省も諜報・日米安保・朝鮮半島・東シナ海など35件を特定秘密に指定した。内閣官房は49件、公安調査庁は10件をそれぞれ指定した。内容は「外国政府との協力関係」「人的情報源を通じて収集・分析した情報」など。警察庁は「テロリズム関係」などの6項目で18件を指定した。他方、法施行と同時に設置されるはずだった国会のチェック機関「情報監視審査会」は、衆参両院とも設置されていない。(「「日米安保」「朝鮮半島」特定秘密指定始まる」『東京新聞』12/27)。

秘密保護法では、公務員や防衛産業の従事者が秘密を外部に漏らせば十年以下の懲役、それ以外の人が秘密を取得しても十年以下の懲役、秘密の漏洩や取得を共謀・教唆・扇動した場合は五年以下の懲役が科される。しかも、漏洩や取得が罰せられる「秘密」が具体的に何であるのか、明らかにされることもない。旧憲法下の治安警察法が、曖昧な「安寧秩序の保持」を名目に猛威を振るったことが想起される。「北朝鮮」を名目に強権が発動される韓国の今の事態は、日本社会にとって決して対岸の火事ではない。

治安維持法や治安警察法の廃止が、国民の手によってではなく、占領軍のいわば「恩賜」によってなされたことは、前述したとおり。秘密保護法が戦前の再来といわれてもピンとこない人が多いのも、戦後長年の間、「恩賜」の自由の上にあぐらをかいてきたことのつけかもしれない。

長春だより

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