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ケーテ・コルヴィッツ――中国、日本そして沖縄 [東アジア・近代史]

ケーテ・コルヴィッツ(1867~1945)の版画「織工の行進」(1893-98)の複製を研究室の壁に貼っている。すると先日、中国の学生から魯迅の本を通じて知っていると言われ、少しびっくりした。
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確かに魯迅は、1936年に『凱綏•珂勒惠支(ケーテ・コルヴィッツ)版画選集』を自ら編集し、上海の三閒書屋から出版している。この画集は日本にも送られており、宮本百合子が敗戦直後に書いた文章「ケーテ・コルヴィッツの画業」の中で紹介している(『真実に生きた女たち』創生社、1946年)。また日中戦争勃発前夜の当時、版画家・上野誠は中国人留学生劉峴の勧めで、東京・神田の内山書店でこの画集を買って傾倒し、以後の版画制作に決定的な影響を受けたという。上野はその時の思い出を次のように記す。

「平塚運一先生の紹介で会った劉峴は、文豪魯迅の序文付の自作版画集を私にくれた。魯迅に推薦される人物なら意おのずから通じるだろうと、先の作品の余白に”日本帝国主義戦争絶対反対”と書いて渡すと、真意たちどころに通じ硬い握手となった。この劉君が神田一ツ橋の内山書店へ行ってケーテ・コルイッツの画集を買うように勧めてくれた。これは魯迅編集で今は貴重な初版本として愛蔵している。盧溝橋事件が勃発すると、急ぎ帰国するからと挨拶に来た劉君に、何点かの作品を進呈したら、上海で発表すると約束してくれた。この人は立派な版画家になり今も健在である。コルイッツの画業に導かれた劉君との出会い。若き日のこの思い出は、いつも私を初心に帰らせてくれる。」(『上野誠版画集』日本平和委員会、1975年。「ひとミュージアム上野誠版画館」HPの「版画館通信」より重引 http://hito-art.jp/NIKKI-4-6-21.htm )。

このとき、劉峴に託して上海で発表してくれるよう頼んだ上野の版画作品は、日本の中国侵略を告発するものだったという。上野は次のように回想する。

「その頃、いわゆる満州国に駐屯する日本軍は匪賊討伐に名を借り、中国人や在満朝鮮人の抵抗運動に惨虐な弾圧を加えていた。ある時、郷里で一人の帰還兵から弾圧の記録写真を見せられ息を呑んでしまった。たとえば捕らえた人々を縛り上げて並ばせ、その前で一人ずつ首を切る。今や下士官らしきが大上段に振りかざした日本刀の下に、首さしのべ蹲る一人、とらわれびとらの戦慄にゆがんだ顔、諦めきった静かな顔、反対側の日本人将兵はいかにも統制された表情で哂っている者さえいる。屠殺場さながらなのもあった。切り落とした生首が並べられ、女の首まであった。戦利品の青龍刀・槍・銃などが置かれて将校兵士らが立ち、戦勝気取りだが国際法を無視したこのおごり、逸脱退廃、自ら暴露して恥じない力の過信憤激したわたしは、背景に烏を飛び交わせ暗雲を配し、叉銃の剣先に中国人の首を刺し、傍らには面相卑しく肩いからせた将校を立たせた版画を作り、ひそかに持っていた」(同上)。

北京魯迅博物館の黄喬生氏によれば、ケーテ・コルヴィッツの作品が魯迅によってはじめて中国で紹介されたのは1931年のこと。この年の2月、中国左翼作家聯盟(左聯)の五名が国民党政府に殺害される事件が起きた際、魯迅は上海のドイツ書店からケーテの版画作品「犠牲」を買い、左聯の機関誌『北斗』に転載して五名を追悼したのである。黄氏によれば、魯迅が購入したケーテ・コルヴィッツの版画は全部で16幅、そのほとんどはケーテのサインのある原版で、2009年9月にベルリンのケーテ・コルヴィッツ美術館長が魯迅博物館に来訪した際それを鑑定し、ケーテが信任していたドレスデンの印刷社の手によるものだと判明したという(文化中国、http://culture.china.com.cn/zhanlan/2010-03/28/content_19699625.htm )。

ケーテ・コルヴィッツと魯迅との間の橋渡しをしたのはアグネス・スメドレーらしい。彼女は1919年からベルリンに八年住んでいたが、その間1925年にケーテ・コルヴィッツと知り合い、29年に中国に来て上海に居住し、中国の左翼運動に深く入ってゆく。彼女を通じて魯迅はケーテの作品に出会ったと想像される。

現在、アジアでケーテ・コルヴィッツの作品を最も多く所蔵しているのが、沖縄の佐喜眞美術館だ。1931年に魯迅が紹介したケーテの版画「犠牲」も佐喜眞美術館にある。2011年9月、北京の魯迅博物館で、魯迅生誕130周年記念として、佐喜眞美術館所蔵の版画・彫刻など58点を展示する展覧会が開催された。北京魯迅博物館長の孫郁氏は、ケーテの作品をドイツからではなくあえて沖縄から借り受ける理由として、「沖縄は東アジアの近現代史を考える上で重要な場所」だとし、支配者が描く歴史ではなく、常に犠牲を強いられる弱者の怒りと悲しみの記憶、そして未来を信じて立ち上がろうとする精神が沖縄にあるからだ、と語った。(琉球新報、2010年3月8日 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-158856-storytopic-64.html )。孫館長はまた、「魯迅は国家権力の立場ではなく、民衆の視点で表現活動をしていた。佐喜眞美術館にも、国家の歴史記述とは違う民衆の声、表現の声がある。ケーテの出身地ドイツではなく、沖縄から作品を借りることは、東アジアの歴史的記憶を掘り起こし、沖縄・日本・中国の関係性を新しい視点で見直すきっかけになる」とも述べた(同上紙、2010年3月7日 http://ryukyushimpo.jp/variety/storyid-158816-storytopic-6.html )。

ケーテ・コルヴィッツがつなぐ中国と日本そして沖縄。彼女が作品の中に込めた平和への熱意が、東アジアに近年張りつめている固い氷を融かすのに役立つことを心から願う。

長春だより

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