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池澤夏樹氏の天皇論 [日本・現代社会]

8月5日の朝日新聞夕刊で、池澤夏樹氏の「終わりと始まり」というコラムが目にとまった。天皇をテーマとするこの文章を何気なく読み進めるにつれて、まずとまどいを感じ、次に違和感を覚え、しまいに深くため息をついた。下に感想を記しておく。

まず、池澤氏の次のようなくだり:

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::(引用はじめ)
 天皇の責務は第一に神道の祭祀(さいし)であり、その次が和歌などの文化の伝承だった。国家の統治ではない。だからこそ、権力闘争の場から微妙な距離をおいて、百代を超える皇統が維持できたのだろう。後鳥羽院はまず超一級の詩人で、次いで二級の君主だった(それでも天皇にしては政争過剰)。こんな王が他の国にいたか。

 千年を超える祭祀と文化の保持の後に維新が起こり、ヨーロッパ近代が生んだ君主制が接ぎ木される。島国は島のままではいられなくなった。グローバルな戦争の果てに、昭和天皇は史上初めて敗者として異民族の元帥の前に立たされた。この人について大岡昇平が「おいたわしい」と言ったのはそういうことではなかったか。一人の人間としての昭和天皇の生涯を見れば、大岡の言葉はうなずける。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::(引用おわり)

歴史上の天皇(ミカドの朝廷)の役割を「神道の祭祀」と「文化の伝承」に限定し、政治権力から切り離す見方は、よくある天皇観だ。が、政治権力(鎌倉幕府以後の武士政権)がミカドの朝廷を保護した理由として、血統カリスマの保持者であるミカドの伝統的権威を利用することで、新興の政治権力にすぎない自分(たとえば織田信長なり徳川家康なり)が天下に号令することを正当化しようとする意図があったことは、見逃せない。政治権力を外から権威づけてその正当性を基礎づけるミカド・天皇の政治的機能は、現代にいたるまで一貫しているのだ。

明治以後、天皇は単なる伝統的権威にとどまらず、統治権の総攬者としてさまざまな大権をもち、とくに陸海軍の統帥権を唯一人有する大元帥となった。戦争遂行の最高責任者である天皇が、敗戦によってその政治責任を問われるのは当然のことだ。しかし池澤氏は、天皇が政治上の責任者として「史上初めて敗者として異民族の元帥の前に立たされた」ことについて、「おいたわしい」(大岡昇平)という感情表現をそのまま首肯している。裕仁に対する池澤のこうしたナイーヴな情緒は、天皇を本来宗教的・文化的な存在であると考える彼の一面的な見方(それは和辻哲郎・津田左右吉をはじめ戦後の保守的な天皇制擁護論者におおむね共有されている)に基づいているようだ。

こうした池澤氏の天皇観の問題点は、現代天皇制に対する氏の次のような感想を読めば、いっそう明らかになる。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::(引用はじめ)
 七月二十二日、今上と皇后の両陛下は宮城県登米市にある国立のハンセン病療養所「東北新生園」を訪れられた。これで全国に十四カ所ある療養所すべての元患者に会われたことになる。六月には沖縄に行って、沈没した学童疎開船「対馬丸」の記念館を訪れられた。戦争で死んだ子供たちを弔い、今も戦争の荷を負う沖縄の人々の声を聞かれた。昨年の十月には水俣に行って患者たちに会われている。東日本大震災については直後から何度となく避難所を訪問して被災した人たちを慰問された。

 これはどういうことだろう。我々は、史上かつて例のない新しい天皇の姿を見ているのではないだろうか。

 日本国憲法のもとで天皇にはいかなる政治権力もない。時の政府の政策についてコメントしない。折に触れての短い「お言葉」以外には思いを公言されることはない。行政の担当者に鋭い質問を発しても、形ばかりのぬるい回答への感想は口にされない。

 つまり、天皇は言論という道具を奪われている。しかしこの国に生きる一人として、思うところは多々あるだろう。その思いを言論で表すことができないが行動で表すことはできる。国民はそれを読み解くことができる。

 八十歳の今上と七十九歳の皇后が頻繁に、熱心に、日本国中を走り回っておられる。訪れる先の選択にはいかなる原理があるか?

 みな弱者なのだ。

 責任なきままに不幸な人生を強いられた者たち。何もわからないうちに船に乗せられて見知らぬ内地に運ばれる途中の海で溺れて死んだ八百名近い子供たち、日々の糧として魚を食べていて辛い病気になった漁民、津波に襲われて家族と住居を失ったまま支援も薄い被災者。
(中略)

 今上と皇后は、自分たちは日本国憲法が決める範囲内で、徹底して弱者の傍らに身を置く、と行動を通じて表明しておられる。お二人に実権はない。いかなる行政的な指示も出されない。もちろん病気が治るわけでもない。

 しかしこれほど自覚的で明快な思想の表現者である天皇をこの国の民が戴(いただ)いたことはなかった。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::(引用おわり)

「訪れられた」、「会われた」、「聞かれた」「慰問された」……、これらの言葉の主語はいずれも「今上と皇后の両陛下」だ。池澤氏がいつから皇室についてこのような尊敬語で記すようになったのか、私は知らない。少なくともプロの物書きである以上、氏が意識的にこれらのことばを用いていることは疑いなく、天皇制の伝統的権威に対する氏の承認、さらには尊崇心がここに表されているといってよい。

池澤氏の言うように、明仁氏と美智子氏はこの6月に沖縄を訪問し、那覇市の対馬丸記念館を訪れ、犠牲者を追悼する慰霊碑に供花した(「両陛下、対馬丸遺族らと懇談」時事、6/27)。池澤氏は天皇夫妻の個人的な思いを忖度して、「徹底して弱者の傍らに身を置く」彼らを手放しで称賛している。が、天皇や皇室というのは現代日本において、日本国憲法や皇室典範に定められた国家機関であり、彼らの行為はその公的地位と無関係でありえない。天皇夫妻の個人的善意のいかんにかかわらず、彼らの沖縄訪問は現代天皇制の構造の中で考えなければならないはずだ。

例えば、対馬丸の悲劇と不可分の沖縄戦で、15万以上の沖縄県民の命が天皇制=国体護持のための犠牲にされたことや、戦後裕仁が占領軍宛てに、米国による沖縄の軍事占領の継続を希望する旨のメッセージを送ったことは、天皇制と沖縄とのかかわりを考えるうえで、避けることのできない問題だ。沖縄に住んだことのある池澤氏が、こうした問題を知らないはずがない。にもかかわらず、天皇夫妻の沖縄訪問について、「戦争で死んだ子供たちを弔い、今も戦争の荷を負う沖縄の人々の声を聞かれた」ことを氏がためらいもなく称揚するのは、理解に苦しむ。

ことは沖縄に限らない。全国のハンセン病療養所や、311震災の被災地、水俣、等々を訪問する天皇夫妻の行脚について、「史上かつて例のない新しい天皇の姿」、「日本国憲法が決める範囲内で、徹底して弱者の傍らに身を置く、と行動を通じて表明しておられる」などと賛仰する池澤氏。日本国家統合において現代天皇制がどのような役割を現に果たしつつあるのか、批判的な認識はかけらもない。

「これほど自覚的で明快な思想の表現者である天皇をこの国の民が戴(いただ)いたことはなかった」と断言する池澤氏にとって、「この国の民」とはいったい誰のことだろうか?天皇制の存否の問題はおくとしても、近代天皇制と侵略戦争をめぐる歴史的経緯から、天皇を「戴く」(高く奉げる、奉戴する、ありがたく敬い仕える)ことを拒絶する「民」が数多く存在することを、氏は忘れたのか?あるいは意図的に無視したのか?いずれにせよ、目を覆いたくなる言論の頽廃だ。

(なお、対馬丸犠牲者に対する天皇夫妻の慰霊がはらむ隠された問題については、本ブログ記事「対馬丸犠牲者に対する天皇の慰霊と「海鳴りの像」――「国家慰霊」をめぐって」を参照。)〔追記、2014年8月30日〕
タグ:天皇制

長春だより

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