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満洲国の爪痕(2) 南湖公園 [満洲国]

10月1日は中華人民共和国の建国の記念日である国慶節。中国全土は一週間の長期休暇に入り、建国を祝うさまざまな催しが行われます。国慶節の当日、ここ長春はあいにくの雨天でしたが、昨日(2日)は素晴らしい秋晴れでした。前日までの雨が大気中の塵埃を洗い流し、すがすがしい青空が広がりました。

長春の昨朝の最低気温は3度。街路樹は早くも黄色く色づき、落葉がはじまっています。澄んだ空気と秋晴れに誘われて、市内の中心部にある「南湖公園」に散策に出かけました。
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南湖公園の由来は、長春が「満洲国」の首都「新京」と呼ばれていた時期にさかのぼります。日本の関東軍は満洲事変の翌1932年に傀儡国家「満洲国」を建国した後、満洲国国務院に国都建設局を置き、近代的都市計画に基づく国都=新京の建設に着手しました。その際、市南部を流れる河水を堰き止めて人口湖を造り、その周囲の広大な緑地を都市公園「黄龍公園」とすることが立案され、33年から工事が開始されました。37年に水面積約100万平方メートルの人造湖「南湖」が完成しました。

南湖の周囲には1940年に開設された「民俗陳列館」のほか、「仏舎利塔」「万霊供養塔」などのモニュメントが建造され、さらに黄龍公園の北辺は「大東亜戦争宣戦記念塔」の建設予定地とされました。

1945年満洲国滅亡後、国民党政権は新京を長春の名に復し、黄龍公園も「南郊公園」と改称されました。国民党と共産党の内戦が激化していた1948年5月、国民党軍の立て籠もる長春市を中国共産党の東北人民解放軍が包囲し、10月に陥落しました。この五か月間の包囲戦の中で十~数十万人の長春市民が餓死し、市街には餓死者が山と積まれたと言われています。

国共内戦が一段落し中華人民共和国が建国された49年、南郊公園はさらに「南湖公園」と改称され、現在に至ります。かつて「大東亜戦争宣戦記念塔」の建設予定地だった場所に1988年、中国共産党が長春を国民党支配から「解放」したことを記念する巨大な「長春解放紀念碑」が建設されました。
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現在の南湖公園の面積は約222万平方メートル(日比谷公園の約14倍、代々木公園の4倍以上)、市民の憩いの場として、休日には多くの家族連れでにぎわっています。
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長春だより

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