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「満洲国」の爪痕(1)――「靖国」としての建国忠霊廟 [満洲国]

長春市内の私のアパートから歩いて10分ほどのところに、異様な雰囲気の廃墟があります。「満洲国」時代の1940年に建てられた「建国忠霊廟」です。
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【2013年6月撮影】

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【1941年の建国忠霊廟(wikipediaより http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:State_Foundation_Martyrs_Shrine_in_Manchukuo.JPG )】

日本の関東軍によって1932年に「建国」された、傀儡(かいらい)国家「満洲国」。その統治も当然、日本軍のむき出しの暴力によって行われました。建国から数年を経て、関東軍および満洲国政府は権力支配を円滑化するため、一般民衆に「満洲国民」としての意識を無理やり植えつけることを試みます。そこで、「建国」の犠牲となった「英霊」(ほとんどが日本軍人)を祀り、「国民」に参拝を強要する施設(日本の靖国神社に当たる)を建設しました。それがこの「建国忠霊廟」です。
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「勤労奉仕」という美名のもと、14万以上の労働力が強制動員された末、建国忠霊廟は1940年8月に完成しました。その総面積は45万6千平米、広大な緑地の中に長さ1キロを超える参道および拝殿・本殿などの施設群が設置されました。同時期に満洲国皇帝の皇宮内に建設された「建国神廟」が天照大神を祀る一方、国家の「英霊」を祀る建国忠霊廟はその「摂廟」(附属の廟)として位置付けられ、互いに補完関係にありました。

廟の門・拝殿・本殿等の中心的建築群は、満洲国崩壊後もどういうわけか破壊されず、放置されたまま現存しています。今これらは空軍の敷地内にあり、立入り制限された私有地に囲まれているため、ここをわざわざ訪れる人はきわめて少ないでしょう。
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建国忠霊廟の伽藍の軸線は、ちょうど日本の伊勢神宮の方角を向くように測量され、真北から西へ46度 54分 38秒に据えられました。周囲の街路は全て、南北・東西に直交していますが、この廟の伽藍だけが、海の向こうの伊勢神宮に向けて斜めに建設されたのです。そのため現在もなお、これらの建築群は周囲の街並みから異様に浮き上がって見えます。下のGoogle Earthの衛星写真画像を見ると、そうした位置関係がよくわかります(中央の斜めに横切る建物群が建国忠霊廟)。
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廟の門の右側の壁には「偉大なる領袖毛主席万歳」、左側には「偉大なる中国共産党万歳」という、恐らく文革時代に書かれたスローガンがありますが、長年の風雨でほとんど消えかかっています。
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さらに門扉には、「打倒日本帝国主義」「消滅日本鬼子」という落書きが見えます。
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近年、吉林省や長春市は、満洲国時代の遺跡を「観光資源」としてアピールするようになりました(今でも賛否両論があるようですが)。そうした遺跡の中でも建国忠霊廟は、1987年という比較的早い時期に、吉林省の保護文化財に指定されています。がしかし、「満洲国の靖国」であったこの廟の観光化はいまだ全く行われず、屋根瓦の隙間から雑草や低木が生い茂る廃墟と化す一方、その門前は近所の幼稚園児たちの恰好の遊び場となっています。
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